マインド即ち私という観念
今日は私という観念について考えてみました。
ラマナ・マハリシはこの「根源的な私という観念」から私という自己
意識が生じ、その自己意識から想念(原言語)が生じ、その想念から
言葉である言語が生じたのであると言うようなことを仰っていたよう
に思いますが、その「根本的な私という観念」とは印度哲学では「ア
ハンカーラ」即ちマインドのことを指し、そのマインドとは即ち私と
いう観念のことであると思われます。
この私という観念が永遠のパーソナリティーという「魂の鏡」を覆い
包んでいるものであり、その私という観念(アハンカーラ・自己
意識・マインド)が現象界を構成している神聖なるマーヤであるとい
うような意味であるではないかと私は考えております。
この紹介するミルダッドの言葉の中での〈私〉とは、この魂の鏡(窓)
を覆っている根源的なマインドである私という観念の事でありましょうし
ミルダッドはこの根源的な私という観念のことを括弧付きで〈私〉と
言っているのでありましょうか?
ここで言うこの私という観念の私
ミルダッドが言う〈私〉のことと、この〈私〉の記憶の反応である通常
の現在意識の人格の私とは同じ私であっても異なっており、この
〈私〉から派生している私が人格の私であろうと思われます。
肉体に結合した霊魂からの私が、この〈私〉に覆われた結果として
この霊魂からの私によって生じたエレメンタルが現在意識のこの
人格なのではないでしょうか。
また、この〈私〉に霊魂からの私が覆われたことによって出現した「記
憶の反応である通常の現在意識の私・人格」とは脳のある部位と結
合しているので、この脳で受信される〈私〉マインドからの感情や思考
や欲望や想念を、この「記憶の反応の私・人格」は私が起こしている
と実感しているのではないかと思われます。
というのも、この脳で受信されるマインドであるところの思考や想念や
感情や欲望とは、それぞれが私という自己意識でもあるので、現在意
識であり、記憶の反応である人格の私は、この脳で受信している思考
や感情や欲望を自分自身だと錯覚して反応しているように思えます。
それに対して霊魂からのあなたと呼ばれている私は依然として目覚め
ず眠った様な状態のままなのであると云われております。
非常に難解なミルダットの言葉
以下の文章では〈私〉とはこの聖なるマーヤである根源的な「私とい
う観念・マインド」のことを指しており、ここでミルダッドが使う
あなたという意味とは「脳と結びついている永遠のパーソナリティ
ーからの私」、「未だ目が覚めずに眠ったままで輪廻を繰り返して
いる私」のことであろうと推測されます。が如何でしょうか?
自分自身を
この現在意識であり人格である「私という観念の記憶の反応」の私
即ちエレメンタルであるこの私と、永遠のパーソナリティーから
の私とを同一視してしまっていて混乱してしまうこともあるかと思
います。・・しかしながら現在の私にとってはこの永遠のパーソナ
リティーの私とは未知であり、信念から想像するしか方法がありま
せん。
ここでミルダッドが言うあなたとは、すなわちこのあなたとは聖書
にある「神の楽園を追放されたアダムとイブ」という「魂と繋がっ
ているが心に取り囲まれ自分を忘却している私」のことを示しており、
ここでのあなたとは、この私が脳に結ばれたことに於いて、この「私
という観念」と一体化したことによって生じた「記憶の反応である人
格という現在意識の私」である現在のこの私のことを示しているので
はないのであると思われます。
非常に読むまでが基本的知識を要するのが難解なミルダッドの言葉
なのではないでしょうか。
「〈私〉とは、あなたの内にある、聞こえるように
なった聞こえざるものであり、見えるようになった
見えざるものだ。
だからそれを見ようとしても、見ることが不可能な
ものを見ることになり、聞こうとしても、聞くこと
が不可能なものを聞くことになる。
なぜなら、あなたはいまだに眼と耳に縛られている
からである。あなたには、眼によらなければ何も見
えず、耳によらなければ何も聞こえないからである。
少し〈私〉を考えるだけで、あなたは頭の中に波
打つ思考の海をつくり出す。その海は、同時に思考
者であり思考であるあなたの〈私〉が創造したもの
だ。
もし、あなたの思考が突き刺し掻きむしるなら、
あなたの内なる〈私〉のみが棘、牙、鉤を思考に与
えたのだと知りなさい。
ー中略ー
あらゆる事物が人間の中に組み込まれている。
その代わり、人間はあらゆる事物の中に組み込まれ
ている。
・・・宇宙はたった一つの体である。
その最小の部分と交流すれば、すべてと交流したこ
とになる。
そして生きている間、絶えずあなたがたは死んでいる
ように、死んでいる間絶えずあなたがたは生きてい
る。
たとえこの体で生きていないにしても、別の形をし
た体の中で生きている。
しかし神の中へと溶け入るまでは、すなわち、あら
ゆる変化を克服するまでは、あなたがたは体の中で
生き続ける。
ー中略ー
〈時間〉と〈空間〉のうちに偶発事はない。いかな
ることにも間違わず、いかなるものをも見逃さない
〈全能の意志〉によってあらゆる出来事は定められ
ている。〈全能の意志〉を受け容れなさい。
その神秘の鞄からあなたにふり注がれる事物を、
ぶつぶつ言わずにすべて受け容れなさい。
感謝をもって、そしてそれらが〈全能の意志〉
のうちで自らの正当で当然な取り分だという信
念をもって、受け容れなさい。」