臨終に際して肉体から離れるもの




以下はあくまで私の探求の結果です


以下の中では殺し、殺され、考え、欲し、行い、見て、自分が生まれ、年とって、病気になり、死んだと思っている私

・・この私とは、この特定の肉体に入った、魂の一部である「表面意識・現在のパーソナリティー」ではなくて

この特定の肉体に入った、たましいの表面意識が一体化してしまった記憶、記憶の私のこと。

それは潜在意識の中にある記憶(無知・無明)であり、たましいの私は自分が思い、自分が見て、自分が行為して

自分が殺し殺された、と思って苦しんでおりますが、実際は記憶が思い、欲望し、願い、逃げ回り、考え、殺し、殺さ

れたのであり、魂の私はその潜在意識にある記憶と同一化してしまっているのであると言う前提に基づいております。




■呼吸停止、いわゆる臨終で肉体から離れるもの

⇒(生命+コーザル体+潜在意識・表面意識・現在のパーソナリティー+記憶(無知・無明)+人格・エレメンタル+ワサナ)




■肉体の火葬と共に肉体と一緒に消滅するもの

⇒(肉体+エネルギー体・エーテル複体)



■肉体から離れて「あの世」にて霊魂と共に再誕体勢に入るまでは一時期一緒に暮らしているもの

⇒(生命+霊魂(観照者)+コーザル体+潜在意識・表面意識・現在のパーソナリティー+記憶(無知・無明)+人格・エレメンタル)



■次の輪廻に備え「あの世」で、物質界への再誕時の準備のために再び霊魂に吸収されるもの(人格は霊魂から離れる)

⇒(コーザル体+潜在意識・表面意識・今までの現在のパーソナリティーのエッセンス)
   
   ※この時点で霊魂から切り離され潜在意識の記憶帶に滞留して行くのは現在のパーソナリティーの記憶部分(今世での人格)
     ・個人(ワサナ)及びそれにまつわるエレメンタル等
   ※魂と繋がる現在のパーソナリティーは今世の成果を携えてコーザル体(永遠の原子・真正潜在意識)と共に魂に収納される。



■特定の霊魂が宿る為に預託された母胎にて胎児の形成時に形成されるもの(霊魂はまだ入っていない、妊娠前から誕生前の間)

⇒(これからの新生児の肉体+エーテル複体・エネルギー体+才能・障害・特性等のDNA+カルマ)



■再誕時に霊魂と共に新生児の最初の呼吸(吸気)で肉体に入るもの(母胎から切り離された胎児に入る)

⇒(生命+潜在意識・表面意識⇒新しい現在のパーソナリティー+記憶(無知・無明)+サムスカーラ(前世から積み上げてきた諸々の成果など)



■誕生してから新生児の肉体の太陽神経叢付近に徐々に繋がっていくもの

⇒(ワサナ・人格群+因縁によるエレメンタル)



■再誕時に霊魂の一部(潜在意識・表面意識・新しい現在のパーソナリティー)と繋がってはいても新たな肉体には入らないもの

⇒(霊魂の本体(観照者)+コーザル体(霊魂と肉体を繋いでいる霊魂部分)

  ※表面意識から記憶が脱落しこの本来の私である霊魂と一体になったときには死は存在していないことだろう
    何故なら私は肉体でもなく、記憶でも無く、感情でもなく、個人でもなく、思考でもない霊魂であるからだろう。
    私は肉体やエレメンタルや記憶や思考ではなくて霊魂なのだと。


☆付記(プロセスとは)

①記憶(思考・無知・無明・自己)がある限りは正しく見ること、正しく行うことが顕れず、内と外に秩序(空)は顕れない。
 【思考なく見ることが顕現しない限りは、行為と思考は記憶(無知・無明・自己)によるものである。】
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②自分を含めた一切万物に対して常に感謝し、愛し、懺悔し、許す事を実践することによる聖霊からの恩寵によって
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③魂からの「正しく見ることの目」(観照)が開かれ顕現する。(「見るものは見られるものである」と見ている目が開かれる)
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④そしてその正しく見ること(思考ではない観照)の目を通じて「神聖なる実在」により記憶(無知無明自己)が空へと変換される。
  (思考・記憶・自己が脱落して本来の目が顕現する)
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⑤本来の秩序(空)が内部と外部に現れる。あるがままをあるがままに見ることが顕現する