自己を観察しているのは誰か
心というものが自らを主体と客体に分離させているのではないか
心の特徴として又、特性として自らを対象化して見る様にするのではないか
自己を見ている自己の観察者即ち主体とは、
見られている自己・客体・対象即ち心が生み出した
架空の主体だといえる
心は、その特性故に自らを対象化して、自らを観察者としてしまう
自我を観察しているのは観察されている自我に他ならないといえよう
その様にして自らを主体と客体に分裂し自我が継続していくのではないか
自我・心は言う「私は自己を観察している」
「私は自己を超越しなければならない」
「私は良くならなければならない」「真我を実現しなければならない」
「自己を撲滅しなければならない」などと
けれども
自己・自我を対象化して自己を観察し、自己・自我を終焉させようとしているものは
その同じ自己・自我に他ならない
自我を観察しているのは
観察されている自我なのではないか
自我自身がその同じ自我自身を観察して
自分は自己を観察している観察者だと錯覚しているのだ
それが心の特性であるのではないか、その様にして自我は生き延びていく
こころは自らを主体と客体に分離させる、それが心だからだ
自己・自我を観察している、自己観察者とは
その観察されている自己・自我なのではないか
そのようにして自己・自我は存続し継続していくのではないか