私の愛読書
私の愛読書は「ミルダッドの書」ですが
この中で意識について触れている部分があるので紹介したいです。
その前に
ミルダッドはその彼の書の中で「私達は神の子であるのだが、私達は”私という産着(複層している私という観念)”によって覆われてしまっている」と言っています。
これを内面の意識考察から彼の言葉を推察すれば
私達は本来は意識であるのだが、現況ではこの私達である意識が思考や心や私によって覆われてしまっていると言うことだと思われます。
ただし、この際のここでの意識とは通常の世の中の言語で使われている現在意識という意味ではなく、私達にとっては未知なる意識状態のことを指しております。その意識とは内部と外部に分割されず、自他に分割されず、時間と空間に縛られず、主体と客体に分割されない意識の事です。
通常の意識と言われている意識とは正確には意識ではなくて思考であって、その思考とは自分自身を対象と私に分離して知覚認識している主体のことで、例えば私と世界、私とあなた、私と自動車、私と不安、私と嫉妬などなどです。
通常の人生の中で機能しているのは思考であり心ですので、
その思考は対象(例えば怒りや恐怖)は自分とは別であって私は怒りや恐怖では無いと知覚認識しています。
また常に相手を自分とは異なる対象として判断し、評価し、分類し、裁いております。
また思考は相手の人は自分とは別人であって、私とは異なっているとそのように知覚認識しています。
しかしながらここで言うところの意識とは思考とは異なっており、その対象は、世界でも他人でも、車でも、怒りでも、嫉妬心や競争心であっても、それらは自分の中にあるという知覚認識であるということなのでしょうか。
その意識とは人類の潜在集合無意識と言うよりもさらなる永遠のパーソナリティーの奥にある普遍的霊魂の意識といった方が良いのかも知れません。
いずれにせよ、これは現在の世界中の人類にとっては全く受け入れられないことですし、勿論、日常生活では考えたこともないだろうし、笑止千万に附せられる妄言虚言としかとられないことでしょう。
自分・私自身は勿論、私は他人ではないし、自分にやってくる怒りや恐怖は私の観察対象であり、それらは私ではないし、私は観察者だと実感している思考であると言えます。しかしながらこの思考が自らを知って静寂になり、停止したとき、思考に依って覆われていた「意識」が燦然と輝き出すのでしょう。
この際のここでいわれている意識とは、通常の思考にとっては対象である内面や外面の全て万物を内側に含んでいる意識の事であり、
私やあなたという、自他の分離や、見る者と見られるものという主体と客体の分離を持たず、限りなく拡がっていて時間と空間を超越している知覚や認識だと言うことです。
思考は「私は(肉体を含めて)身体の中にある」と実感していますが、そのここで言うところの意識とは「私は世界であり、私の中に世界はある、私の中に世界の全ての人々はいる」と知覚認識しているといわれております。
その意識とは通常の思考に依っては全く理解は出来ませんが、ミルダッドはその意識こそが神の子である私達だと言っているわけです。
しかしながらその意識とは、現在の私達である思考や心には未知なる知覚や認識だと言うことでしょう。
思考や心は私・自分という実感であり、その思考は肉体に入って私・自分は「この身体は私であると実感している」ので間違った知覚認識である事でしょう。
私達にお馴染みの思考や心とはその知覚認識をしている私自身であり、その私が実は「神の子である私達」を覆っている思考だとミルダッドは言っているのです
このように自分はこの身体の中にあるとの実感こそが思考自身の錯覚なのでありますけど、本当は思考や心は身体の中にあるのではなく地球を取り巻いている人類の集合無意識であるのに、その思考や心は私はこの身体であると錯覚していると言うことなのでしょうか。
思考は自らを自分はこの身体であって、自分が見ている対象ではないと思っています・・自分ではないもの・・それは目の前の人であり、車であり、家屋であり、道具であり、犬であり、昆虫であり、怒りであり、悲しみであり、不安であり、恐怖であるものですが、思考は自分はそれらではない、自分は身体だ、自分が見ているそれらは自分の観察対象であって私は観察者なので対象とは別だと実感しています。
そのように見る者は見られるものではないと思い込んでいる思考や心や私とは、その見ている私が見られている対象と同じ心であり思考であり意識から出てきたのだということを理解しません・・・無知・・・ということかも知れません
さてミルダッドの言葉を紹介しますが、非常に難解なので理解は出来ないとしても理論上では分かるかも知れません・・かく言う私もその一人です
「万物への意識を成長させて
あなたは自らのうちにある万物の意志や、
万物のうちにあるあなたの意志を
意識出来るようになる
万物の内にあるあなたの意志と
あなたのうちにある万物の意志を
意識するようになって初めて
あなたは(全能の意志)の神秘を知ることが出来るようになる」
ミルダッドが言う万物への意識を成長させるとは
具体的に分かり易く言うならば、対象である相手や自分の自我を判断したり、評価したりせず、非難したりせずに相手自身の気持ちになって、一緒に感じ、一緒にいてあげて、相手を思いやり、限りなく愛情を相手に注ぐということなのでありましょう。