魂と魄を一つに統一し、
離れないようにできるか。
呼吸を調和集中させ、
嬰児のようにすることはできるか。
自分の中の
曇った鏡をきれいにし、
何もないようにすることはできるか。
人々を愛し、国を統治して、しかも知られず
にいることができるか。
無存在の領域に出入りし、
行動を自分で起こすことができるか。
明るい照明を知らなくても、あらゆる方面へ
及ぼすことはできるか。
それを養い、育てよ。
生み出しても、それを所有するな。
はたらかせても、それに頼るな。
導いても、それを統御するな。
これは神秘の徳と呼ばれる。
老子
私の感想
これは老子という
通常の思考や記憶、人類の知覚を遙かに超えている彼岸からの
超意識による見地であります。
冒頭の魂魄の存在さえ知覚できない私達人類・・・
私達は自分自身である魂はおろか魄のことも知覚できない
のであり、自分を知ることのない私達・・
思考と五感に混濁しきっている状態のわたしたち・・
自他に分割してしまう目しかしらないわたしたち・・
自分が魂と繋がっている私であることを忘れ果てている
わたしたち人類・・・
老子の
魂魄を一つにして離れないようにとはなんなのか?
私達人類は身体に心が使用されてしまっているのだが
心が身体を使うことが出来る様にならなければ
それはできないことでありましょう・・・
サイコノエティック体・幽体霊体が再形成されなければ
それは出来ない事でありましょう・・・
魄とはエネルギー体のこと、即ちエーテル複体のことであり
魂とはサイコノエティック体の事でありましょう。
記憶とその思考が絶対に正しいと信じ、常識を信じ、
分離思考しか知らず、又それ以外を認めず
自己中心の思考しか知らない私達・・
自分が生み出した記憶(自我)に翻弄され、その自
分が生み出した記憶(自我)の責任を取ろうとしな
い私達・・・
老子が言う無存在という思考を超えている存在の領域
、空の存在領域のことなど、全くもって一体何を言って
いるのか理解出来ない私達人類・・・。
老子は
無存在という自我・私・分離した自己が消滅している
状態。空、本来の天照大御神の御分心である鏡の状態、
ヒューレン博士が言う透明で無の心・・これらのこと
を話しているのですが、思考に汚染されている私達に
は知るよしもありません。
行為を
自分が行為しているという知覚、それはこの条件付けられ
ている脳の知覚と同一化している私達人類の知覚でありましょう・・
自分が自分の自由意志で行為して思考して生きている
と錯覚している私達人類には老子が「それを養い育てよ」
「生み出してもそれを所有するな」とは何のことかさっぱり
分かりません・・
それは言葉や言語や思考で理解出来る領域ではない言語道断
の超高次意識の領域からの言葉であるからです。
思考なく見ることのできる超知覚による目からの話なのです。
それは「天の心」のことであり、黒住宗忠が「天の心を養
い育てよ」といっておられるのと同じであるように思われます、
その天の心とは、エレブナで言う高次のサイコノエティック体の
ことでありましょう。思考ではなく時間と空間を超越している
天の心による超知覚なのです。
老子達は言います
真我と一体になった方々は等しく仰います。
私は肉体であると言う錯覚から解放された方々は仰います。
・最小の中に最大はあり、最小は最大であり、最大は最小である。
最小の一点の中に最大・万物がある。
・宇宙は私の中に在り、私は宇宙である。
・万物の中に私はあり、私の中に万物はある。
・見るものは見られるものである。
・主体と客体は一つであり、対象は私であり、観察者は観察され
るものである。その非分離の知覚とは愛である。
・原子の中に宇宙が有り、全ては全ての中にある。
・自と他は分離しておらず、私は世界であり、世界は私である。
・内部は外部であり、外部は内部であり、その知覚の中には
愛しかない。
と、かくの如き思考には全く思いも及ばぬ実相真理、
人類には理解が及ばない老子の超意識段階からのメッセージ。
私達はこれら思考や五感覚を超えた彼岸からの言葉を
理解出来ないので頭から否定してしまいます。思考と
一体化し混濁している私達人類は自分が神の子である
ことを理解することはありませんし、信じることもあり
ません。
自分は魂であり、鏡であることを完全に忘れ果ててし
まっているのだと。
老子の言う「明るい照明を知らなくても、あらゆる方面へ
及ぼすことはできるか。それを養い、育てよ。」とは・・
老子が明るい照明を知らなくてもあらゆる方向へ及ぼすことが
出来るというのは、覚醒している覚者はハートにある真我の太
陽が万物を明るく照らしているので明るい照明はなくても万物を
照らしているハートの真我が覚醒している様を述べているので
あり、ハートからの太陽が万物を照らし生かしておられるので
ありましょう。
この老子の言葉はその超越の段階にいる老子の実際の超知覚の
証明なのであります。
私達は魂なのに記憶、思考、行為、自我に包まれ混濁して
いるので正しく見ることが出来ない・・と言われています。
この老子の言葉に驚愕するのは私だけではないことであり
ましょう。
私達たましいの私は記憶という24時間寝ても覚めても一秒
も休むことなく活動している思考に雁字搦めにされています。
ですから私達は24時間一時も休むことなく、自己想起=真我
=ハートの太陽=天照大神=無償の愛に焦点を合わせなけれ
ばなりません。