神とは何か
『人々は自分自身以外の神を信じているが故に、
神を知ることは決してないであろう』
(マクドナルドベイン著キリストのヨーガより)
神とは何か
それは、私以外に、自分ではない存在として、
私の対象として、知覚対象としてある場合は、それは神ではない
神は私以外には決して存在しない、
私だけが神であり、
あなただけが神であり、
その神は自他に分離していない、
従って、もし私が自他に分離して、他人と分離している自分を見たり、他人を自分以外の存在と見ているとき、
外部は内部であり、内部は外部であると理解していないとき
そのとき現れる神は、神ではなく、搾取する霊的存在であり、それは神ではない
その分離している状態で内側に、外側に現れる神は神ではない
分離しているものが何故神なのか
神は自他の分離が無く
内部と外部の分離のない状態の中に「在る」のだ
私として
神とは正しい名前ではない、
なぜなら、それは肯定的言語であり、
肯定的言語自体が自他の分離であり、
内と外の分離であるところの記憶というマインドの領域内であることである
地球人類の使っている
神という言葉自体が「神ではないもの」を指し示している
肯定的接近で「神」と言うとき、考えるとき、思うとき
それは私たちの分離する思考そのものである記憶や
マインドで把握可能な二元性・分離性の次元の存在のことを示している
従って
私たちの次元の言葉や概念や思うこと、考えることでは神を指し示すこともできず、
その神を象徴することも、隠喩することも出来ない、
象徴すること、隠喩することが二元性であるからである
なぜなら指し示すことができるもの、象徴できるもの、隠喩できるものが伝えることの出来るものは
全てマインドでしかないからである、
そのマインドとは神とは正反対の二元性であり、分離性であり、自他を分離するものであり、
時間であり、
「〜なる」過程である、
そして記憶であり
その記憶が作り出した、持続し転生する自我(エゴ)である
だから私達が通常使う「神」とは、正確には、神では全くないものを伝えている、
マインドのことを神という名前を付けているに過ぎない、
それは神ではないものである
であるので、神という言葉や概念や想念は正確には神を否定するものである
私達はこの言葉という手段で、又は言語という手段で、又は思考という手段で、それを指し示すことは断じて出来ない
従って
否定的に述べる事が、より正確に伝え、接近することになる
それは必ず、否定的接近という事であり、こう述べるのが一番接近している状態である
肯定的に神のことを「神」と、言葉や言語や概念や思考で述べるとき、それは神から遠ざかっている、それは神を否定することになる
では否定的に接近して、否定的に述べるとどうなるか
「神たること」を正しく否定的に述べると、どうあらわされるか
それは
『時間なきもの』
『実存ではなく、実在、在るもの』
『未知なるもの』
『知られざるもの』
『吾はあれなり、あれは吾なり』
『時間空間をこえたもの』
『非二元性』
『非分離性』
『生の全体性』
『一命一体』
『実在』
『今・ここ』
『絶対主体・純粋主体』
などなど
従って、神ではないものとは
「神という言葉」「神という観念」「神という言語」
「神と思っているが、実はその中身は思考や記憶や感情であるもの」
「神が自分以外の彼方の、又は自分とは別の存在と思うこと」
「神が自分以外に在ると信じること」
「対象として出現する神」
「象徴として姿形を以て知覚される神」
「私たちの知覚や認識の対象として、このマインドの領域(三界)に出現する神」
「私たちが知ることが出来る神」
「私たちの思っている神」
「私たちの考えている神」
「私たちが祈っている神」
これらは神ではなく
神を詐称して、私たちを搾取しようとしている霊的存在である
それは、断じて神ではない
なぜなら神は私自身であり、私そのものであるからである
神と私は分離できない
私は神であり、神は私である
私たちがあるがままをあるがままに、思考を使わずに見ているとき、そこに在るもの、それが神である
私たちを常に守護し、導いておられる「知られざるもの」、それが神である
わたしたちの内側にあって、真の私であるもの、それが神である
肯定的接近ではなく
否定的にこそ一番接近できるもの、それが神である
神は全てであり神以外に存在する者はない
もし神以外に何かが見えるときそれは盲目である、と言われている
それこそ、それは
「愛」自身
「愛」そのもの
私、そのもの
あなた、そのもの
自他の分離のないもの
それは、一つ
それは完全
それは無限
それは歓喜
それは絶対
そして
それは
「I AM THAT I AM」
真我
と覚者によって言われ続けている
であるので
私たちはなるべく
この地球人類によって汚され続けてきた「神」という表現を使いたくない
それは、真実
言葉ならざるものであり
言葉や想像や推測を超えているからだ
言葉や想像や推測できるものは概念であり、思考、想念に過ぎなく、それによっては必ず誤って伝えられる
従って、人類の今までの、その「神」という言葉は肯定的な言語であり、
それは神を指し示してはいないし
指し示すことも出来ない