ホ・オポノポノで唱える言葉の意味







ホ・オポノポノでは「ありがとうございます」「愛しています」「御免なさい」

「許してください」と唱えるのであるけれども、それは誰が誰に対して

唱えているのだろうか・・・そのことを自分なりに考えてみた。


では唱えているのは誰だろうか・・・・

それは現在のパーソナリティーの潜在意識にある記憶が唱えているの

であろう。しかし本来は、記憶ではない私、未知なる魂と繋がっている現在

の私が唱えているべきなのであろうが。その私は眠ってしまっているので

唱えることができないのである



それでは誰に対して唱えているのだろうか?

唱える相手とは潜在意識の記憶に対して、また魂に対して、内なる大生命

に対して、そしてご守護してくださっている大天使の方々に対して、唱える

のであると思う。



このたましいと繋がっている現在のパーソナリティーの表面意識は目が覚

めておらず自分の潜在意識にある記憶と一体化しているので混濁状態にあり

記憶の意識が、この現在のパーソナリティーの私の意識状態となってしまっ

ているのである。私の意識とは記憶の意識になってしまっているのだ。


表面意識の私とは、記憶と一体化してしまっているので、記憶である欲望や

物欲や性欲や所有欲や支配欲や自尊心や自己関心と一緒くたになってしまっ

ている。自分と記憶であるそれらとの区別ができない状態になっているのだ。


それでも、ごちゃ混ぜになっている私が唱える必要があるのだ。・・・それは

この私である現在のパーソナリティーの潜在意識にある記憶がクリニーングさ

れるように、そして、現在のパーソナリティーの私の目がクリーニングされてハ

ッキリと自分自身の姿を見ることが出来る様にと、内なる大生命・至高なる実在

に対して「ありがとうございます」「愛しています」「御免なさい」「許してください」

と唱えるのだ。



「御免なさい」  →・いつも、この現在のパーソナリティーをご守護してくださり優しく
            見守ってくださっている神聖なる貴方、守護天使に気がつかず
            感謝せずにいて御免なさい。

           ・私の目に映る相手とは、相手の鏡に写っている自分自身の
            姿なのに鏡である神聖なるあなたを非難して御免なさい。
            鏡に映る相手とは私の記憶の姿、私が相手だと錯覚している
            のは私の潜在意識にある記憶です。そしてこのこれを書いて
            いる私こそ、その記憶です。
           
           ・私の心の鏡に去来する欲望や願望や思考や想念とは潜在意識
            にある記憶であり、それらは、この現在のパーソナリティーであ
            る私ではないのに、それを自分自身だと私は思い込んでしまっ
            ています。内なる魂さん御免なさい。謝っている私こそその記憶
            です。何故なら私現在のパーソナリティーは記憶と一体化してい
            て記憶に占領されている状態であるからです。  

「許してください」→・私は内側にある魂と繋がっている現在のパーソナリティーの私を
            覆っている記憶です。私を許してください。
         
           ・私は記憶であるのに私は魂に繋がる現在のパーソナリティーであると
            思い込んでいます。
           ・「私と相手は別だ。私は他人と異なっている」、また私は万物と一
            体なのに「私と万物は別々だ」と思い込んでいるのは記憶です。記
            憶の私は記憶がしている錯覚や欲望や願望や衝動を自分自身で
            はないと錯覚していますが、記憶が記憶自身を見る私と見られる私
            に分割しているのです。
            どうかこの未熟なこの現在のパーソナリティーの私を覆っている私で
            ある記憶を許してください。記憶の私を清めて下さい。許して下さい。  

「愛しているよ」→・私がこうして、この苦しみと物欲と達成欲と我執に満ちているこの世
            にいるのは、私である記憶を浄化し、記憶を苦しみから解放するこ
            となのに、いままで「苦しみである記憶」の私自身を無視して私に気
            がつかず、記憶を無視して愛していませんでした。私は記憶である
            貴方を愛しています。私の潜在意識の中にいて苦しんでいる私であ
            る記憶を心から愛しています。この私が浄化され、悩み、苦しみ、
            暴力や残虐から解放されましょう。私はクリーニングされましょう!!。


「有り難うございます」→
            ・私という現在のパーソナリティーの内側にある魂の更に内奥にある
             大生命である神聖なる実在へ心から感謝申し上げます。私であるこの
             記憶の浄化の願いを受け入れてくださっていることに心から感謝申
             し上げます。ありがとうございます。

            ・魂の私である現在のパーソナリティーの身体である肉体とエーテル複体
             とサイコノエティック体を育て、維持し、生かしてくださっておられる
             あなたに、大生命であるあなたへ心から感謝申し上げます。
             私である「真の私」が現在のパーソナリティーのハートにあって私の
             細胞の一つ一つを生かしてくださっております、万物一切を創造し
             生かしそして循環させておられるあなたに心から感謝申し上げます。
             御心ならばどうかこの人類共通の記憶である私をクリーニングして下さい。
             そして私がゼロとなって、この鏡を通じて貴方の輝きを顕して下さい。



この「ありがとうございます」「愛しています」「御免なさい」「許してください」と唱える

ことは別にホ・オポノポノの専売特許ではない。

このように「ありがとうございます」「愛しています」「御免なさい」「許してください」と

唱えるのは地球人類として、この物質界に生を受けている人間として普遍的なこと。

そして「自分自身へ至る道」を模索している私達にとっては最も歩みやすい道でも

あるのだ。




※専門的で耳慣れない用語で解説をしますと
  「魂と繋がっているコーザル原子」の先端が「今回の転生での未発達で目が覚めて
  いない現在のパーソナリティーの私」でありその現在のパーソナリティーとはホ・
  オポノポノで言う表面意識(記憶と一体化している)の事でありましょう。  
   
  しかしながらこの表面意識が記憶に覆われている以上は私達の表面意識での私、
  私の意識と思われるものは全てが記憶の反応・・即ち思考であるということであります。
  
  さてその「コーザル原子を介して魂と繋がっている現在のパーソナリティー」が身に纏っ
  ているのが三つの体、即ち肉体とエーテル複体とサイコノエティック体であります。
  が現在の人類はこのサイコノエティック体が形成されておらず機能していないと言うこと
  であります。従ってこの眠っていて再形成されていない私はサイコノエティック体を
  使用することができていない状態になっているのです。超知覚が使用できないのです
  、従って現在の人類の知覚である五感覚の状態とは、私達は自分の感覚で知覚だと
  と思っていますが、それは記憶の知覚なのです。

  少々複雑なのでこの事をきちんと理解していないと各派によって表現が異なりますし
  分類方法が異なるので私達は混乱してしまいますから整理したいと思います。

  ちなみに潜在意識とはこのコーザル原子の中に有りヒューレン博士の言う記憶
  とはこのコーザル原子にある潜在意識の中に有るといわれております。
  この潜在意識の記憶とは個人個人の過去世からの記憶のみならず世界の
  全ての方々の記憶と繋がっていると言われています。

  ホ・オポノポノでの説明では内奥の魂の事を超意識といい、永遠の原子の先端部分を
  現在のパーソナリティーである表面意識といい、永遠の原子コーザル体のなかに
  ある潜在意識を同じく潜在意識と言っております。ここでの最大の焦点である記憶とは
  私達人類全体が共有しているコーザル原子の中の潜在意識の中に有るわけです。
  ホ・オポノポノの解説図では、ですからエーテル複体やサイコノエティック体や肉体
  のことは記載せず省略しているわけです。(ホ・オポノポノの解説図を参照してください)
  実際にこれを書いている私とは潜在意識にある記憶ではないでしょうか。その理由は
  私は高次サイコノエティック体の機能である超知覚がないからです。

 
 このこれを書いている私とは、たましいの私ではなくて潜在意識の中に有る記憶
 人格であり、記憶というエレメンタルです。私達の日常生活での私とはこのたまし
 い私の中に有るこのエレメンタル・記憶です。従ってこの記憶が浄化され、記憶
 という人格の私には知ることがない、たましいの私が現れない限りはサイコノエ
 ティック体の再形成・成長そしてそれらの身体が持つ超知覚はあり得ないことで
 ありましょう。