マインドに意識の焦点を充ててはいけない


「マインドに意識の焦点を充ててはいけない

意識そのものに意識の焦点を充てなさい」


と覚者は言われている



ここではマインドと意識を別のものとして記述しておられる

さらにその意識に焦点を合わすところの意識の事をも述べておられる

勿論、言葉が及ばない領域のことを敢えて言葉で示しているのであるから

非常に難しいことをして下さっていることである


この場合のマインドとは何か

それは意識の対象のことであろう

意識の対象とは頭脳、肉体、出来事、運命、世界、時間、空間、わたし、貴方、そして私と思われている不安、恐怖、

感情、思考、欲望、こころである


そして、それらに焦点を当てているところの意識とは何か、それは私と呼ばれている主体のことであり

その主体とは複層的、階層的な構造を持っている段階的な「私・意識」である


だから対象である客体ではなく、それを見ている主体そのものに焦点を充てよと言われる

起こっている、起きている心や頭脳や思考や肉体や出来事や運命や思考や感情に囚われている「私」を

起こっているそれらに焦点を充ててしまっている「私」自体に意識の焦点を充てなさいと言われる

マインド・思考・こころは客体であり対象であるから主体ではないのだと、起きている事であると

こころとは客体であり、認識の対象であり、その認識の主体ではないと

だから対象である心に焦点を充てないで心を見ている主体の私に焦点を充てなさいと言うことだ


そして次の段落で

「意識そのものに意識の焦点を充てなさい」といわれている

想いや記憶や感情である心と言われているマインドに意識の焦点を合わすのではなく

それらを見ている意識の方に意識の焦点を合わせなさいということである

観察している主体それ自体に意識の焦点を合わせなさいと言うことである

主体を見なさいと言われる

この場合明らかに三つの意識の段階があるように思える


まずは

思考や欲望や感情などの記憶であるマインド・心である、これは脳の状態でもある(これらは起きているものである)

そしてそのマインド・こころを観察しているところの意識・主体である(意識の焦点を充てている私である)

さらにその焦点を充てている主体である意識に、焦点を充てている意識である、通常はこの意識を「気づき」と呼んでいる
(この気づきこそがマインドに囚われている主体である私という意識を意識しているものである)



これらを指し示す言葉はないし、言葉はそれを指し示せないので、指示代名詞を使うとしたら

恐らくそれは

@マインド:頭脳・心・思考・想い・記憶・感情・感覚・知覚・体験・知識・情報・認識・肉体・出来事・運命・世界・時間・空間

A観察者:自我・主体・私・意識・霊魂

B観照者:非自我・非個人・非意識・気づき・真の私

と言うことであり

Bの意識である真の私とは、意識そのものであるからして、

その真の自己は、絶対の主体であるから対象となることはなく、

また対象化したり、対象を持っている主体でもなく、

絶対なる主体そのものであるから客体ではないので、

従って、その意識は対象もなく、記憶、認識、知覚、体験、経験、理解、知ることでもなく

考えることもなく、思う事もなく、成ることもなく、到ることもなく

見られることも、推測されることもないもの

ただ見ている目、そのもの

「目は眼自体を見る事は出来ない」と言われているところの目そのものであるではないか


全てを私自身として非分離性・非二元性の中で見ている「目」そのものであると教えられている

そしてその「目」そのものこそが

Aの観察者である主体=自我というものを見ている意識であるのではないか

この観察者という自我を見ているものが気づきであり、本当の主体であり、

その働きなのではないか、その絶対主体は「目」であるのだと

だからここでは

意識そのものである「観察者を見ている真の私」に

意識の焦点を充てなさい、

即ち現在観察している観察者の生まれ出た「根源の無思考・非対象の意識」に

その観察者自身の意識が向かって行きなさいと教えられているのではないだろうか

観察者が観察者自身の生まれ出た「無思考・非対象」の意識そのものに意識の焦点を合わすのだ



 ニサルガダッタ・マハラジの言葉

 いずれにせよ、あなたは気づいている。

 そうあろうと試みる必要はない。

 あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。

 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。

 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。

 あなたはつねにマインドを意識している。

 だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。
 

                          『私は在る』(p238)




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