如何なる人も同じ魂
自分とはこの「意識し、意識されている自分」だけであるのだろうか?
この分離している自己意識の潜在意識や集合無意識だけであるのだろうか?
私とはこの将来を心配したり、怒ったり恐れたり、時々涙を流す私だけなのであろうか?
私・自分とは、特定の肉体に結合したこの現在のパーソナリティーだけなのであろうか?
勿論、自分とは現在意識だけだと思っている私達のこの現在のパーソナリティーに於いては、
自分とはこの意識している自分だけのことであり、この意識的自己だけが自分だと誰しもが
そう思っている・・・悲しいことにこれが地球の常識なのである
これは本当なのであろうか?これは真実なのであろうか?これは間違った常識なのではないか?
この現在(潜在)意識の私の奥にあって、この「私を観照している私」が実在しているというのである
この現在の私を観照している私とは、この現在意識の私に因っては意識されないが
確実にこの私の奥にあって、この私を慈しみ観照している・・と
この現在のパーソナリティーである現在意識によっては意識されない現在のパーソナリティーの
内奥に「輪廻している私」を観照している永遠のパーソナリティーという自分が実在しているという
(より正確には輪廻をしているのは現在のパーソナリティーではなくて永遠のパーソナリティーに
付帯しているコーザル体であり、サンキヤ哲学では「アーナンダマヤコーシャ」と呼ばれている)
どんな敵でも、どんな恐ろしい人も、犯罪者も、テロリストも、その「現在の私」の奥に、現在の私を
観照している私・永遠のパーソナリティーがいると、犯罪者にも私達と同一の魂が在るのである
この私という自我の内奥に「私を慈しみじっと優しく見守る、観照している私」が実在していると
その私の事を永遠のパーソナリティー(観照者)と呼ぶ
では翻って、この現在(潜在)意識の私とは何だろうか?それは行為と思考の結果であると言えよう
行為と思考の結果が現在のパーソナリティーであり、従って行為と思考の責任を負うのである
行為と思考はこの現在のパーソナリティーを通じて起こっているので、現在のパーソナリティーと
繋がっている永遠のパーソナリティーもその結果であるカルマを味わうこととなるのである
永遠のパーソナリティーとは、この現在のパーソナリティーを観照している私の事であり
自分という現在意識の基底にあって「鏡」とか「スクリーン」「空」とか呼称されており
殆ど意識化されない私であり、それぞれの輪廻している個人の奥にあって現在のパーソナリティー
を観照している私の事である、この私の事を個別的霊魂と呼ぶ場合もある
この事を私達である現在のパーソナリティーから表現すれば
私達は常に永遠のパーソナリティーによって観照されている、若しくは
真言密教の弘法大師のお遍路さんのように大師との「同行二人」と言うような表現となる
ここから先は私にとっては単なる理論となってしまうけれども
この永遠のパーソナリティー又は個別的霊魂の奥にさらにソウルセルフエピグノーシス若しくは
本来の私、真実の私とも呼ばれている「魂」「霊」という普遍的意識が実在していると言う
要するに私達とは何重にも重なった複合存在なのであり、その表層部分である現在のパーソナリティー
の進化段階だけを見てその人間を判断したり、評価したりすることは全く間違っていると言えよう
本来の私ではない「私という観念・根本無明」に覆われたこの現在のパーソナリティーを
優しく慈しみ見守る私こそ永遠のパーソナリティー・個別的霊魂なので在ると
どんな罪悪人でも、テロリストであり犯罪者であっても、人間である以上は同じ複合構造なのである
その犯罪者でもその現在のパーソナリティーの奥にはその犯罪者の行為と思考を観照している私
個別的霊魂・永遠のパーソナリティーがおり、更にその奥には普遍的な霊魂の私・真我が実在している
のであると
従って、この世で重度の身体障害の肉体に入った方も、その逆の素晴らしい才能と環境に恵まれた
肉体に入った現在のパーソナリティーも構造は同じであり、その内奥には同一の普遍的な霊魂・真我が
実在しているのであると
そのように考えてみると「あの人はいい人だ、悪い人だ」とか言って現在のパーソナリティーの状態
だけを見て、人だと思い、人を判断するこの現在の地球人類の根本的常識は完全に間違っている
あの人は良い人だとか、あの人は敵だとか、あの人は悪人だとか善人だとか、才能があるとかないとか
幸福であるとか不幸であるとか、病気であるとか健康であるとか、肌が黒いとか白いとか、頭が悪いとか
良いとか、それらは肉体に関することであり、肉体には入った現在のパーソナリティーや永遠のパーソナリティー
そして霊魂・真我には関係が全くないのである
如何なる敵でもテロリストでも重度の身体障害者でも、男でも女でも、同じ構造であり同じ人間なのだ
この構造は地球だけではなくて他の惑星の方々も同じ構造なのであろう
この人間の構造は他の惑星の方々も同じと言うだけではなくて、死後の霊界や幽界に於いても同じであり
死後に於いては、肉体がないだけであって、やはり現在のパーソナリティーである
諸体・サイコノエティック体は無明に覆われている
私達人間とはこのような複合構造であり、内奥に普遍的意識である真の私(セルフエピグノーシス)から
成り立っている実在・真の私であると言えよう