統覚機能
現在のパーソナリティーのことであり、現在のパーソナリティーが持っている統覚機能につい
て考えてみたい・・
病気なのは肉体が病気なのであり、統覚機能という現在のパーソナリティーなのではない。
肉体自身は私のものでもあなたのものでもないように肉体の病気は、肉体の病気であり、私や
あなたが病気なのではない。
苦痛を感じているのは肉体であり、肉体に入った統覚機能である現在のパーソナリティーな
のではない。
統覚機能が脳や肉体と一体化しているので肉体の苦痛や快感や脳に起こる衝動や欲望
そして五感や感覚というそれらのことを自分自身だと錯覚しているのではないか。
才能や障害はその特定の肉体の持つ才能や障害であり、その肉体に入った統覚機能
という現在のパーソナリティーの才能や障害なのではないことはあきらかであろう。
私の才能や、私の障害なのではないのだ。
統覚機能である現在のパーソナリティーが肉体に入って脳と結合したので肉体の病気や
老化を自分の老化や自分の病気だと錯覚してそのように思い込んでいるのだ。
脳が感じていることなのに脳と一体化して、その脳の知覚を自分自身のものだと感じて
いるだけでなのであろう。
生まれつきの脳の障害や身体不自由な方や重度の身心の病気の方は、その方自身が
障害なのではない、その様な肉体に入った方々は私達と全く同じ現在のパーソナリティー
なのであってどれだけ苦労をされているのか計り知れない
欲望や思考や感情の殆ども「統覚機能と一体となった肉体の脳」を通じて送受信され
ているものであり、
それなのに、その思考や感情や欲望のことを統覚機能である現在のパーソナリティー
は肉体と一体化しているので自分の思考や感情や衝動だと思い悩み苦しんでいる
その思い悩み思うことで現在のパーソナリティーからはさらに否定的な想念が生み
出され形成されていく。
・・・が決して
その脳で受信されている思考や感情や欲望は現在のパーソナリティーのものではな
いのではないか?
しかしながらもっと深いところで
根本無明(私という観念)はこの現在のパーソナリティーである統覚機能
を通じて、統覚機能から起こっているように思われる・・・がどうだろうか?
無明は本当の私を覆っている五つの鞘(コーシャ)のうち外側から四番目の自我体
(ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ)を覆っているのではないかと理屈で推測している。