受胎と誕生・そして真我と設計者・そしてアートマンとブラフマン
呼吸と心臓・血液の循環
その相似性についての私見
輪廻転生を続けている、私達の自我の実体
それは
あるときに真我からの分離によって生まれた想念形態なのだろうか
そのとき
それと同時に現象界の設計者の網の一部になり
その想念形態が
それが自我の根本であるのだろうか
反対から考えると
この自我である私は二元性の設計者から作られたとも言える
そのようにして
この想念形態は二元性の「我」となって、現象界に生まれたのだろうか
そしてそれはプロムラミングされた我となり
設計者の網の一部になったのか
現象界という映画の出演者になったのか
そして
この「我」はそのプログラムに従って
同時に多くの鞘を生み出していき
カルマを生みだしていく
カルマがこの設計図を推進させる原理システムかもしれない
そのために設計者は
人格・ワサナを作り出していく
現象界に生まれたと言うことは、逆の立場からは設計者の一部となって
最終ラウンドの覚醒に至るまで
非二元性に戻るまで(真我に戻るまで)
そのプログラムによって役目を与えられたと言うこと
上演される映画の一コマの登場者の役を与えられたと言うこと
この根本原則に沿って
受胎と誕生のドラマを追ってみたい
受胎に際しては
まず
この「我」が作り出している多くの鞘が母親の体内に入る
子宮の受精卵の核となる
設計図に従って
そして
誕生と同時に
この「自我」は「吸い込む息」と同時に物質界に生を得る
プロムラミングされた自我は新たなる肉体に縛り付けられる
それと同時に
今まで母親の一部であった血液が
新たに
その誕生された幼児の心臓によって体内を循環し、生の基本が確立される
この血液を巡らせる心臓を支え生かしめているもの
それが真我であると言われている
ハートに焦点を合わされている真我が心臓を動かし、血液を循環させている
今まで母親の心臓の力によって生かされてきた胎児はいま幼児となって、新たな肉体において
真我はその幼児の心臓を生かしめている
しかし、悲しくも
設計者の意図により、物質界に出生することの出来なかった、その胎児(その母親の胎内にあり
過去生のカルマによって決定され、肉体の基盤になる設計図によって書かれた多くの鞘(精妙体))は
物質界ではなく幽界や霊界に自我を迎えそこでの生活が始まる、場合もあるものと思われる
さて
一方、通常の方法で出産された胎児の場合は、吸い込む息と同時に、「自我」が肉体に入ってくる事になり
この条件付けられた設計図に基づき多くの鞘が形成され始める
7年ごとに複数の鞘は強固に肉体と結びついていく
そのようにして
最終的に自我は
脳を経由して、肉体に縛られてしまう
そして
フィルムというプログラムに従った映画の上演が始まる
そして、また新たにその自我は、今生でのワタシという人格を形成し始める
その自我がこの作られた人格を伴って次の幽界での精妙なるボディーを身に纏い幽界や霊界での生活が始まる
更にこの物質界に戻るための
準備に入る時まで、この人格は自我と共に生き続ける
そして
次の転生のため準備ステージに進むとき
それ以降は自我から切り離された、その人格はワサナとなって、
待機のため休止状態スタンバイとなるが
再び次の転生された肉体の精妙体に引きつけられる
(過去世に於いて自分が作り出した人格であるワサナが、
新たなる肉体にある精妙体の下部に位置するチャクラに引き寄せられる、
そしてそれらは新しい胎児の脳に徐々に「ワタシ」として影響を与え始める)
しかし、これらのことも全て設計者の意図と管理の下でのことである、と思える
この自我は今生での人生を終えるとき、吐く息と同時に、肉体から離れて、精妙体に移っていく、
そして全てがこのプロミラミングされた世界の中で、物質界と幽界や霊界での間を転生し続けていく
しかし
この輪廻転生を繰り返す自我は
真我からの想念である
想念形態に過ぎない
この輪廻を繰り返す自我は
想念に過ぎない
それは真我ではない
わたしではない
それこそ二元性そのものである
ブラフマンの一部である
ラマナ・マハルシはいう
この自我は真我から生まれたた想念であると
大海から生まれた波のようであると、
だから、その自我の生まれた根源の想念に至りなさいと言う
波は大海の表面に生まれた一瞬の存在でしかない
そして更にラマナ・マハルシはいう
また
この輪廻転生する現象界の我も
この現象界を支え、運営する神も
そしてこの世界と宇宙である三界の現象界それ自身も
真我が覚醒したときには消える
この二元性は消滅し
非二元性がそこにある
そのとき
我が真我であり
神は真我そのものであり
世界と宇宙は真我の中にあるという
この真我の非二元性においては
世界と宇宙は我と神は一つであるという
こここそ
時間と空間を超越し
あまねく遍在し
完全完璧なる
愛と歓喜そのもの
このとき
現象界である
世界と宇宙を成立させている設計者・維持者・そして真の私達の行為者であるブラフマンは
アートマンであり
真我であることが
正見されるのかも知れない
あのマトリックスの映画の最後の場面で
今まで壮絶な闘いを繰り広げていた預言者と設計者は
全く、見たこともない、生まれ変わったニューヨークの美しい自然の中で
楽しく談笑している
あのシーンはそれを暗示している
ブラフマンはアートマンの一面なのだと
この世界と宇宙と自我であるブラフマンはアートマンである真我の一面なのだと
そこに至ったとき地球は新しい局面を迎え
アセッションを遂げ
新しい次元へと移行し
宇宙の高次に進化した兄弟達の一員となることであろう
と私は推測している