上江洲義秀先生はヒーリングといっていますが
内容はディクシャです
それも本物の真我からのディクシャです
宇宙意識からの直接のものです
ディクシャという言葉はヒンズーの世界では一般名詞で
ニサルガダッタ・マハラジや・ラマナ・マハルシはかなり詳しく色んなディクシャ
に関して話しております
登録商標ではないので、伝統の上から、その言葉は使われています
そして
特に最高のディクシャは内側からの真我からのディクシャを挙げられています
私が上江洲義秀先生のヒーリング・ディクシャをお薦めするのは
彼の関係者から
彼のディクシャを受けて、
彼の関係者数名が本当の非分離性の世界の入口に到達した方がいるからです
そう言うわけで
あえてヒンズーの伝統からディクシャという言葉を使わせて頂きたいです
内なる宇宙意識から
内なる真我からです
上江洲義秀先生は真我を実現されました
宇宙意識からの直接のディクシャを是非、味わって下さい
昨日の上江洲義秀先生から与えられたヒーリング(ディクシャ)のあと
何故、クリシュナムルティーはあれほど、真剣に「恋」をしたのか
分かりました
「恋」をして、本当に、私達が真剣に会いたがっている、ことを
いつもドアーをたたいて来て下さることのへ意思表示をしなくては
と
上江洲義秀先生はおっしゃいました
真我は待っているのです
恋人は待っているのですと
恋人とは真我です
そして、それは汝でもあります
真の客体ではない汝です
それはまた真の真我でもあります
現在の私達には真の意味で「あなた」がいないのです
何故なら、真の私がいないからです
何故なら、私は、あなたを利用しようとしているのです
そのとき、
そこに現れるのはあなたではなく他人なのです
そのとき、私は真我ではなくマインドが作り出した主体なのです
微妙な形で利用しようとする限り、そのとき私は主体であり客体が姿を現しま
す
私の意識には、その利用が愛に、親切に、思いやりに、信仰に感じられること
もある
と思います
そして
そこに見るものと見られるものの分離の世界を作り出して、出現するのです
神は客体ではありません
私が主体であるとき、そこに出現するのは客体です
主体ー客体はマインドの構成物なのです、それがマインドです
私が主体であるとき、「それ」(至高なる者)はありません
私が主体であるとき、内も外も、マインドなのです
今から40年前、私が宇宙のエルダーブラザーからコンタクトマンの松村さんを
通じて
聞いた言葉があります
「宇宙のエルダーブラザーは奇跡を現して人々を虜にはしない」
何故、円盤が直接に皇居前広場に着陸しないかの解答でした
神が私にこの肉眼で見えるように現れることは
また、
この主体であるわたしに直接話かけることは
その神は、真の真我ではありません、客体なのです
真の神は
私達に認識できない者として出現します
私達が主体である限り、客体の神は
私達を搾取するものとして出現したのです
私達を利用するために出現したのです
何故なら、私達が利用しようとしたからです
私達が主体と客体の分離を乗り越えて
「見るものが見れるものであるとき」
それが神なのです
その状態そのものが神なのです
招かれも、求められないに、そっとそこに
一輪の小さな花の中にも、微笑する神があるのです
それこそ、真実の汝であり、真我であり
そして神・真我なのです
神は奇跡を現して人々を虜にしません
私が存在せず、私という分離がいないとき、そこに二元性の主体が無いとき
そこにのみ、内側にのみ
非分離性が、非二元性が、全体性が、それこそ名付けられないものである
至高なる存在が
未知そのものが顕現するといいます
真我こそ神です
上江洲義秀先生はそこに至りました
上江洲義秀先生の限りない愛を、ヒーリング(ディクシャ)を受けて下さい
お薦めします