持続は腐敗だ

持続すること、輪廻転生することは腐敗すること、
腐ることだとクリシュナムルティーは常ずね言っていた

持続し、何回も輪廻を重ねることで、
マインドの桎梏から離れることが可能であろうか

同じマインドの鎖はしっかりと繋がれたまま、神秘体験を重ね、
超常能力を得て、神を見ても
果たしてそれがマインドという自分を作り出す鎖から解放されただろうか
輪廻は続いている限り
解放はない

2012年を過ぎて、黄金時代に突入したとしても、
果たしてそれが、そのとき
時間の範疇・輪廻に縛られているなら、
それがマインドという自分を作り出す鎖から解放されただろうか、
同じように二元性と分離性、見るものは見られるものの分離が在るのではないか


マインドの特徴である心
内省の機能
客体化してしまう機能
自己を認識の対象にしてしまう機能
認識の対象として自己があるとおもっている状態・機能
自己の意識・意志を感じている状態
即ち自己意識そのもの

これらが続いている限り
たとえ
2012年が来て黄金時代が来ても
自分が天国に行っても
自分がワンネスを実現しても
自分が愛に溢れても

そこは地獄だ
本当には腐敗と悲惨しかないのだ

何故なら、
自分という個別的存在があるという前提になりたっているからだ
自分という個別的存在があると思っている限り、それはマインドの罠である
マインドの範疇である

それは
解放ではない
たとえ解放という言葉を使っていても

それは解放ではない

鎖に繋がれたまま、マインドから解放されたと錯覚しているからだ

この輪廻の鎖に繋がれている限り、自分という錯覚に陥っているとおもう

これを読んでいる、今、あなたは自分を認識しているだろうか
この自分を認識している状態こそマインドの状態であり、
自他を分離しているこのマインドの
根本的なシステムであること、二元性のシステムであることに気がつかないのだろうか

このシステムは自覚されなくても、
それは悲しみであり、苦しみであり、恐怖そのものであり、憎しみであり、
戦争であり、暴力であり、葛藤であり、悲惨そのものなのだ

このマインドのシステムそのものが輪廻転生なのだ

いくら、この輪廻転生を続けていても、その最終地点は

又同じ場所に戻っていまうのだ、輪廻は解放をもたらさない


この輪廻の中身こそ進化である
しかし進化はまた退歩でもある
そもそも進化という発想自体がマインドの考え方である


進化や進歩は真我には存在しない

最初から完成している


2012年は現象界の輪廻の中での出来事だ

進化や進歩は本当は腐敗なのだ
それは悲惨の中を
ぐるぐると回っているだけだのだ
いくら
年を重ね
輪廻の回数を重ねても
進歩をして、ずる賢くなったとしても
自分という感覚、自分という意識は失われることはない
その自分という意識そのものがマインドの機能なのだ
それは結局はまた退歩に戻る

悟りを得た、光明を得た、一体になったと思っている自分

それを実現した自分が居る限り
それは悲しみであり、繰り返す憎しみであり、恐怖なのだ

自分は自分をどうすることも出来ない

マインドにはこのマインド自体を変えることは出来ない

自分を良くすると思うこと自体がマインドの作用であり、自我なのだ

この自我が居る限り
なんの黄金時代であろうか

自我が終焉しないかぎり
真我が輝くことはない

自我の終焉は、自我である自分には出来ない
終焉させようとしている自分そのものが自我だからだ

どこにもいく必要はない
何故なら
中に既にあるのだから
と、
そう言われているではないか

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