表面意識の段階
ホ・オポノポノの説明している表面意識とはなんだろうか?
「霊魂と繋がっている表面意識」は潜在意識にある記憶とともに
(所謂【たましい】として)最初の吸気とともに新生児の肉体(カル
マや才能や障害、DNAがセットされている)に結合した私達の
表面意識のこと。
ホ・オポノポノでは私達の表面意識が「愛しています」と唱
えることで、この記憶(私という観念の)から解放されるのであり
それこそが肉体と結合した私達の目的だといっている。
そしてこれが「この功徳を持って、あまねく一切に及ぼし我らと
衆生皆ともに仏道を成ぜんことを」であるといっている。
ここで一番大切なのは「ありがとうございます、愛しています」
と唱えているのは、目的や期待や動機をもつ思考・記憶ではなくて
たましいと繋がっている私の現在の私(現在のパーソナリティー)
の表面意識=意識・マインドであるということである。
逆に言えば「成ろうとしたり」「目的や動機を持って期待したり」「見返りを
獲得しよう」としたり「利用しよう」として唱えているのは表面意識ではなく
記憶の反応であるということである。私達は記憶という牢獄に監禁されて
いて自由ではないのに、そのことに気が付かず思いを馳せることがない。
感じる事、為すこと、思う事のすべては記憶であり、自由を奪われている。
記憶という機械であるロボットの中に私達は閉じ込められているのであると。
ではこの表面意識とは何だろうか
ここはホ・オポノポノではあまり詳しく触れていないのであるが
私が思うに表面意識とは
現在のところは記憶による思考と一体化しているので混同して
濁っているがそれは記憶による思考ではない透明なる意識のことで
あり、マインドを使用できるのであると。
「御免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます」と
記憶に対して唱えることで、徐々に(下記に述べる)現在の私(現
在のパーソナリティー)がマインドを正しく使用することによって記憶
の作用である思考から解放されていき「意識的意識状態」へと移行
することができると思われる。
この記憶の反応である思考とは異なっている表面意識の意識状態とは
それは大まかに分けて5つの段階があるといわれている。
たましいと繋がっている私である現在の私(現在のパーソナリティー)
には五つの段階があるということである。今のところの地球人類は②
の潜在意識的意識状態であると。
①本能的意識状態
肉体の脳が持っている本能と完全に一体化している動物的意識状態。
②潜在意識的意識状態
「私という観念」が生み出している記憶と一体化して「自分が万物と異なり
分離している」「私はあなたではない」「内部と外部は異なる」という錯覚
の上に成り立っている思考と区別できない意識状態。地球人類の状態。
機械であり、ロボットの私と「たましいと繋がっている私」を識別できない状態。
③意識的意識状態
私達は通常、意識と思考を全く混同してしまっているが全く異なっている。
思考は私という観念の記憶によるエレメンタルであり、意識はたましいから
のマインドである。(マインドという使い方は流派によって正反対に異なる)
肉体に繋がった私達(たましいと繋がっている私)は
条件付けられている脳からの本能、私という観念に取り込まれた結果
生じている記憶の思考、と「たましいと繋がっている現在の私」(現在のパ
ーソナリティー)のマインド=意識は全く異なっているのである。
このたましいと繋がっている私の本性である意識がマインドという質料
を正しく使用することによって徐々に意識が思考という記憶から解放さ
れていくと思われる。そのためには「愛している」「ありがとうございます」
「許し清めて下さい」と念じ詠唱することはまさに重要であると思われる。
現段階の人類の思考と意識を区別できないのは思考であるから
であると思われる。
④超感覚的意識状態
私達であるたましいと繋がっている私がより超意識であるたましいと
繋がることで顕現していく分離無き意識状態、万物との一体感、愛、
人と人とのつながりを実感していく・・・そのような段階の現在の私
(現在のパーソナリティー) の意識状態。時空の制約を超えている
超感覚的意識状態。愛三の目が開いている状態だという。
⑤超意識的意識状態
私という観念の根源にたどり着いた意識であり、万物と一体、万物と
一つ、私の中に万物があり、万物の中に私が在る。「I AM」という
意識状態・・であるが私はまだ③の意識的意識状態にすら到達して
いない。
私にはこれらのことは全く理解出来ないし、わたしは記憶のレベルで
あり、記憶が知覚しているのは記憶の姿でしかないからである。
いずれにせよ、私達、たましいと繋がっている私である現在の私(現
在のパーソナリティー)の意識・マインドが記憶である思考から分離
独立して自由に生きれるように、肉体やエネルギー体を愛すること、
エレメンタル(自己自我)を愛することで、エレメンタル(自己自我)か
ら解放されていくことが必要なのであろうとおもう。