今日は自我について考えてみた。
自我とは何だろうか?
それは地球の全人類で全く同じで一つの「私という観念」なのでは
ないだろうか?
大生命である「神」が自我という、この全人類で同じ「私という観念」
を使って
「神」が物質世界や幽界や霊界で自我という演技をしているのではないか?
自分は個人で他の人とは異なる、
自分は肉体で他の星の人とは異なっている、
自分が行為していると錯覚している自我とはそれ故に神の演技なの
ではないか?
自我、それはこの条件付けられている脳が受信した思考であり、その私とい
う観念の記憶であり、その記憶がこの世界を自分とは分離した対象と見てい
るのではないか?
その記憶が私が私だ、私は他人や他の宇宙人とは異なる私自身だと錯覚
しているのではないか?
そして、その自我は物質ではないので死後も生き残り、生き続け
カルマの輪に捉えられてしまう。
私とは本来は魂は霊であり、個人ではなく「インパーソナル」であり
万物と分離できない全てと一つであり、転生していないのに
魂と繋がる私は、自分は転生している個人だと、その私という観念の
記憶・人格を自分だと思い違いしてしまったのだ。
そしてその記憶が
大生命の呼吸と一緒に肉体に入って
DNAやカルマで決定されている個別の肉体や霊的諸体を
自分自身だと錯覚しているのではないか?
そして記憶がこの世界を創りだしているのはないか
なぜならその記憶と一体化した魂と繋がる私には
思うことで物質化できる素晴らしい能力があるからだ。
そのように脳と結合したその私という観念が
起こっている自由意志や行為や知覚や感覚を
自分が行為している、自分が思考している、自分が知覚認識して
いる、自分はこの人格という、名前を持ったこの私だと錯覚している。
たましいと繋がる私はその自我と一体化している。
霊であり魂である私は一切万物と一体であるのに・・。
私とはパーソナルではない、非個人員パーソナルなのに・・・。
私は、呼吸と共にその私という観念と一緒に肉体に入ったので
私は霊であり魂である私は神の子であり、全てとひとつであることを忘却し
その私という観念に染まって
その私という観念という自我と一体化して
自分は個人であり、自分は目の前の人とは異なる人間だと
私は輪廻している、私は生まれそして死ぬと思い込み、
自我が起こしている思考や
起こっている行為に対する自我の反応を自分の反応だと
錯覚して、自分は輪廻転生していると思い込んでしまったので
はないだろうか?