自由意志について



ラマナ・マハリシは語っている


「自由意志と運命は常に存在しています。

運命とは過去の行為の結果であり、それは身体に関わっています。

身体がその運命に沿うように行為させなさい。


何故あなたはそれを心配するのですか?

自由意志と運命は身体が存続する限りは、続くでしょう。


しかし叡智はその両方を超越するのです。

真我は知識と無知を超えています。

もし何かが起こるとするなら、それは過去の行為の結果として、

あるいは神の意志として、あるいはその他の要因から起こるのです」



「実際の所、人は身体であり、それ以外の全てであるのです。

身体は全体の一部でしかないからです。最終的にはそれを知らねばなりません。

まず意識と意識のないものを区別し、

それからただ意識として在ることです。

その後で、意識でないものと、意識とは異ならない

と言うことを理解するでしょう。」




「誕生と死、快楽と苦痛、つまり世界と自我は心の中に存在しています。

もし、こころが破壊されれば、これら全ても破壊されるでしょう。


注意すべきは、それらを休止状態にさせるのではなくて、

消滅させなければならないということです。



眠りに於ける心は休止状態にあります。それは何も知りません。

それでも目覚めれば、あなたは以前のあなたのままです。

悲しみに終わりはありません。


それで、もし心が破壊されれば、悲しみは心とともに消え去るのです」



「心とは想念の束に過ぎません。

想念が起こるのは考える人が存在するからです。

考える人とは自我のことです。

もしも自我を探せば、それは自動的に消え去るでしょう。

自我と心は同じものです。

自我は他の想念が起こる根本の想念なのです」



「内面に潜り込みなさい!

あなたは、現在心は内面から沸き起こっていることに気がついています。

内面に沈み込んで探しなさい!」



「あなたは呼吸制御を修練しています、機械的な呼吸制御では最終目標には達せま

せん。それは補助的な訓練でしかないからです。


呼吸制御を機械的にしている間も

心の中では注意深く「私」という想念を覚えていなさい。


そしてその源を探し出すのです。


そうすれば呼吸が沈み込む場所から

「私」という想念が現れることを見いだすでしょう。



それらは共に沈み込み、共に立ち現れます。


「私」という想念が呼吸と共に沈み込んだとき、


無限に輝き渡るもう一つの「私-私」が現れます。

それは途切れることなく続いて行くことでしょう。

それが目的地です。


それは神、真我、クンダリーニ、シャクティ、意識、ヨーガ、バクティ、ジニャーナ

と異なった言葉で知られています。」