恩寵オンチョウとはミズカらの限界ゲンカイがつくことであり、虚偽キョギ虚偽キョギコト出来デキることは恩寵オンチョウであるという
絶対・真我
(I AM THAT I AM)
観照者のワタシ (観照者の現象界部分・観察者)ワタシ 第1想念の私(マインド・心) 「自我(エゴ)としての私」
(マインドの記憶の反応)
第3想念のワタシ
(プログラムの思考シコウ感情カンジョウ外部ガイブからの想念ソウネン
    高等コウトウ思考シコウ 無明ムミョウ根本コンポン無知ムチ時間ジカン空間クウカン根本コンポン自我ジガチョウ自我ジガ 通常ツウジョウ意識イシキしているワタシ自己ジコとはこのレベル  
  マインドのワタシにとっては未知ミチなるワタシ 高次コウジ観察者カンサツシャ低次テイジ観察者カンサツシャフカ瞑想メイソウ接触セッショクすることもある) 観察者カンサツシャしくは目撃者モクゲキシャ、マインドのワタシ本質ホンシツ頭脳ズノウ経由ケイユして身体シンタイ世界セカイ投影トウエイしているとわれている 転生テンショウをしている主体シュタイ通常ツウジョウワタシ意識イシキ 外部ガイブからやってくるワタシマタ思考シコウ想念ソウネン感情カンジョウオヨびワサナ
  づきとはづきにづいていないづきという意識イシキレベルで熟睡トキに覚醒している)と言明されている 高次コウジ部分ブブンづきを意識イシキしている(マタづきにづいている)。ネムっていることを自覚ジカクする意識イシキ 通常ツウジョウ意識イシキ夢見ユメミ熟睡ジュクスイ目覚メザ)これを覚者ネムっている意識イシキばれる 通常ツウジョウ人類ジンルイ意識イシキであり無意識ムイシキフクむ、文化ブンカ文明ブンメイキヅいた分離ブンリしている主体シュタイ客体キャクタイ意識イシキ対象タイショウとしてのカミ天使テンシ遭遇ソウグウする体験タイケン経験ケイケン 分離ブンリ意識イシキした文明ブンメイ文化ブンカ芸術ゲイジュツ科学カガク
マッタくの記述キジュツ不能フノウ想像ソウゾウ不能フノウ領域リョウイキ 体験タイケン経験ケイケン理解リカイ知識チシキえている未知ミチなる領域リョウイキ次元ジゲンと言明されている普遍フヘン意識イシキクウ」とばれている レイ物質ブッシツツナ領域リョウイキワタシによる認識ニンシキ不可能フカノウ領域リョウイキシズかなナニ思考シコウしないときフカ瞑想メイソウなどでれることもあるとわれている) ワタシによる認識ニンシキ可能カノウ領域リョウイキ思考シコウ可能カノウ領域リョウイキ
言葉コトバ思考シコウ概念ガイネン感情カンジョウなど)
記憶キオクによる反応ハンノウで、頭脳ズノウ条件ジョウケンけによる反応ハンノウ反応ハンノウしている自我ジガとしてのワタシ。いつも非難ヒナン判断ハンダンしている、くなろうとする主体シュタイ 頭脳ズノウ条件付ジョウケンヅけというによる受信機ジュシンキ受信ジュシンされた言語ゲンゴ言葉コトバ思考シコウ概念ガイネン外部ガイブ世界セカイ
完全カンゼン完璧カンペキであり現象界ゲンショウカイ創造ソウゾウ維持イジ創造者ソウゾウシャ支配者シハイシャ根源コンゲン根源コンゲン言明ゲンメイされている プログラムは根源コンゲン観照者によってきていると言明されている 意識イシキ現象界ゲンショウカイれてプログラムと同一視ドウイツシしてしまったタマシイタマシイ観照者共同キョウドウ転生テンショウマエにプログラムを選択センタクするらしい スベての現象界ゲンショウカイ出来事デキゴト運命ウンメイ行為コウイ思考シコウ根源コンゲンのプログラムによる映像エイゾウ上映ジョウエイであると言明ゲンメイされている
(この認識ニンシキ真我によるものであって、ワタシである自我ジガ自分ジブン行為者コウイシャだと錯覚サッカクしている)
  プログラムは根源コンゲンからと悟得ゴトクし、プログラムを観照カンショウしているとわれている やってきているプログラムのこと(出来事デキゴト行為コウイ思考シコウ)はタマシイではないとカンじる、自由ジユウ意志イシはないと理解リカイしている プログラムのことを、ありないとマッタ拒否キョヒし、行為コウイきているということを否定ヒテイ自由ジユウ意志イシがあるとオモっている プログラムの結果ケッカなので自分ジブン結果ケッカであることにマッタづかないで自分ジブン行為コウイしているとオモっている プログラムのことはいてもマッタ理解リカイしない
ただヒトつであるものと言明されている ショウ不滅フメツという自覚ジカクっている意識イシキである、とわれている。 低次テイジ部分ブブンは、根本コンポン無明ムミョウオオわれてしまっており、自他ジタ分離ブンリしているとオモ第1ダイイチ想念ソウネンオオわれている 頭脳ズノウ経由ケイユして実在ジツザイウエ世界セカイ「自我(エゴ)としての私」投影トウエイしているとわれている 転生テンショウサイ記憶キオク中断チュウダンさせられたとわれている(記憶キオク継続ケイゾクタイ)サイコノエティック体とわれ、高次コウジ意識イシキ遭遇ソウグウするとネムって無意識ムイシキになる  
  「見るものは見られるものである」と言明されている。自己ジコマッタくいないという。マッタ個人コジン自我ジガではなく、タマシイですらないとわれる 高次コウジタマシイ自我ジガ脱落ダツラクし、人類ジンルイヒトつという実感ジッカンっているという 身体シンタイ自己ジコ錯覚サッカク世界セカイ外部ガイブ投影トウエイしているていると言明ゲンメイされている。時間ジカンみだし内部ナイブ外部ガイブ分離ブンリした 自我ジガはプログラムにシタガって上映ジョウエイされている映像エイゾウであり本当ホントウワタシではなくてはるとわれている  
存在ソンザイ完全カンゼン意識イシキ至福シフクと言明されている アイ慈悲ジヒ智慧チエ生命セイメイと言明されている 全体ゼンタイ部分ブブンタマシイ高級コウキュウ部分ブブン永遠エイエンのパーソナリティーとばれている) 自我ジガ人類ジンルイ共通キョウツウ根本コンポン想念ソウネンワタシ 人格ジンカク個人コジン主体シュタイ転生テンショウツヅける主体シュタイ通常ツウジョウワタシ記憶キオク中断チュウダンされているツヅける自我ジガワタシ 人格ジンカク個人コジン・ワサナの思考シコウ感情カンジョウやその傾向ケイコウ
宇宙ウチュウ絶対者ゼッタイシャアラワれであり、絶対者ゼッタイシャ宇宙ウチュウ創造者ソウゾウシャではないと言明されている 存在ソンザイ意識イシキ至福シフク状態ジョウタイと言明されている 自己ジコ想起ソウキ自己ジコ観察カンサツ実施ジッシするもの(マインドに集中せず、全体として留意し、分離せず凝視する) ココロ思考シコウなくしてられたとき消滅ショウメツすると覚者によってかれている 自意識ジイシキ自己ジコ関心カンシン自分ジブンがどうオモわれているかをにし、他人タニン関心カンシンがないので他人タニン批判ヒハンゴシップに夢中ムチュウになる  
  マインドの超越チョウエツ観察者カンサツシャ不在フザイと言明されている、思考シコウ超越チョウエツ、マインドの停止テイシ 思考シコウえて自我ジガのあるがままの観察カンサツ開始カイシ思考シコウえた領域リョウイキには思考シコウマッタオヨばないことを理解リカイする 思考シコウ限界ゲンカイカンじているが、思考シコウ思考シコウ以上イジョウのものをジョしたりすることは出来デキず、それは間違マチガいとうことを理解リカイしない 環境カンキョウナガされて思考シコウ使ツカっていない人生ジンセイマタ思考シコウ鍛錬タンレンしている領域リョウイキ分離性ブンリセイ二元性ニゲンセイ世界セカイ 記憶キオク鍛錬タンレン育成イクセイ思考力シコウリョク喪失ソウシツ暗示アンジだけできているロボット
ワレはそれと言明されている 主体シュタイ客体キャクタイ合一ゴウイツと言明されている タマシイ内側ウチガワかえば真我ソトかえば世界セカイ自己ジコ分離ブンリ説明セツメイされている。魂の感覚。タマシイ低次テイジ部分ブブン可塑カソテキ ワタシ身体シンタイだという感覚カンカクマタ幽体ユウタイ離脱リダツした肉体ニクタイ以外イガイ身体シンタイ感覚カンカク この現在ゲンザイのやってきている五感ゴカン自分ジブン感覚カンカク錯覚サッカクしているのが自我ジガわれている。体脱した自分という意識 アタえられた催眠サイミン状態ジョウタイ
  此処ココにはモノがいないワタシがいないと言明されている 高次コウジ思考シコウでは思考シコウハタラいていない・沈黙チンモク 特定トクテイ個人コジンであり、特定トクテイ身体シンタイナカきると想像ソウゾウした根本コンポン無明ムミョウ 特定トクテイ身体シンタイ同一化ドウイツカした「自我(エゴ)としての私」人格ジンカク名前ナマエっている個人コジン  
ナニこっていないと言明されている スベてはこっている映像エイゾウである、思考シコウ感情カンジョウ記憶キオク出来事デキゴト観照カンショウしているとわれている 思考シコウ感情カンジョウマワされない観照者目撃モクゲキしている 時間ジカン束縛ソクバクされて、自己ジコ改善カイゼン超克チョウコクしようとしている、自我ジガ終焉シュウエンしようとする やってきた想念ソウネン自分ジブンオモって)にタイして、逃避トウヒしたり、非難ヒナンしたり、同一視ドウイツシする 自分ジブンにやってきている想念ソウネン感情カンジョウ思考シコウマッタ自己ジコ錯覚サッカクする
いま・ここ・あるがままと言明されている この次元ジゲンは時間の停止「イマ」と言明されている 感覚カンカクのスローダウン・多層タソウ次元ジゲン時間ジカンナイ移動イドウ 時間ジカン領域リョウイキ過去カコ現在ゲンザイ未来ミライ 通常ツウジョウ時間ジカン感覚カンカク未来ミライアンじて、過去カコにくよくよする 未来ミライへの不安フアン過去カコ罪悪感ザイアクカン
スベてが真我でありカミである、身体も世界も存在していないと言明されている 自我ジガハジめから存在ソンザイしていないと自覚ジカクしている絶対ゼッタイ主体シュタイであると言明されている 低次テイジ部分ブブンゼンアク二元性ニゲンセイている、高次コウジ部分ブブン世界セカイにまでヒロがる精妙なる意識イシキ身体をもっている 自他ジタ分離ブンリしており「自我ジガ」があるとオモっている、シタガって相手アイテ悪者ワルモノだとオモっている 自分ジブン自我ジガなのに、自分ジブン自我ジガであることにがつかない マッタくの条件ジョウケン反応ハンノウ思考シコウ行動コウドウでしかない
マインドが発生ハッセイする根源コンゲンと言明されている 至高シコウなることは、られない、カンガえられない、記憶キオクされない、経験ケイケンされない、られない、対象タイショウではないとわれている 低次テイジタマシイは、解脱ゲダツしているのに解脱ゲダツネガっている、解放カイホウされているのに自我ジガによって束縛されていると思っている、真我は探求されることがないのに探求している。探求タンキュウ自身ジシンがマインドであるから 〜にイタろう、カミろう、体験タイケンしようとするそのマインドとは真我があるので投影されているといわれる やることなすことのスベては自己ジコ利益リエキカンガえて打算ダサン行動コウドウ思考シコウスベては自我ジガ本性ホンショウだが、それをカクして、無欲ムヨクヨソオ 欲望ヨクボウオオわれ、ケッして満足マンゾクしない欲望ヨクボウオチイり、欲望ヨクボウ充足ジュウソクのためにカミ利用リヨウし、それをカミ信仰シンコウショウしている
  まれたこともなくんだこともないと言明ゲンメイされている 高次コウジタマシイ部分ブブン自我ジガ次回ジカイ設計図セッケイズ根源コンゲントモエガくとわれている 肉体ニクタイだとオモうと物質ブッシツカイ霊体レイタイオモえば霊界レイカイ投影トウエイされる この記憶キオクタイ転生テンショウサイネムりにオチイり、アラたなるプログラムをされてアタラしい肉体ニクタイ  
  マッタくの自由ジユウ感覚カンカクというシン行為コウイ意志イシ絶対ゼッタイ主体シュタイわれている 高次コウジ部分ブブン自由ジユウモトめている、プログラムではないシン意志イシシタガうことが出来デキ 束縛ソクバクカンじている 自由ジユウだとオモっている、自分ジブン意志イシ行為コウイしているとオモっている 自由ジユウ希求キキュウこらない、プログラムでおこる意志イシのことを自分ジブン意志イシだとオモっている