恩寵とは自らの限界に気がつくことであり、虚偽を虚偽と見る事が出来ることは恩寵であるという | ||||||||
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絶対・真我 (I AM THAT I AM) |
観照者の私 | 魂(観照者の現象界部分・観察者)の私 | 第1想念の私(マインド・心) | 「自我(エゴ)としての私」 (マインドの記憶の反応) |
第3想念の私 (プログラムの思考感情、外部からの想念) |
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高等思考 | 無明(根本無知)時間・空間・根本自我・超自我 | 通常意識している私・自己とはこのレベル | ||||||
マインドの私にとっては未知なる私 | 高次観察者と低次観察者(深い瞑想で接触することもある) | 観察者若しくは目撃者、マインドの私の本質、頭脳を経由して身体と世界を投影していると云われている | 転生をしている主体、通常の私の意識 | 外部からやってくる私、又は思考や想念、感情及びワサナ | ||||
気づきとは気づきに気づいていない(気づきという意識レベルで熟睡時に覚醒している)と言明されている | 高次部分は気づきを意識している(又は気づきに気づいている)。眠っていることを自覚する意識。 | 通常意識(夢見、熟睡、目覚)これを覚者は眠っている意識と呼ばれる | 通常の人類の意識であり無意識も含む、文化文明を築いた分離している主体客体の意識、対象としての神や天使に遭遇する体験、経験 | 分離意識が生み出した文明・文化・芸術・科学 | ||||
全くの記述不能・想像不能領域 | 体験・経験・理解・知識を超えている未知なる領域次元と言明されている普遍意識「空」と呼ばれている | 霊と物質を繋ぐ領域(私による認識は不可能な領域で静かな何も思考しないとき深い瞑想などで触れることもあると云われている) | 私による認識可能領域、思考可能領域 (言葉・思考・概念・感情など) |
記憶による反応で、頭脳の条件付けによる反応に反応している自我としての私。いつも非難し判断している、良くなろうとする主体 | 頭脳の条件付けというによる受信機に受信された言語・言葉・思考・概念。外部世界 | |||
完全完璧であり現象界の創造と維持の創造者と支配者の根源の根源と言明されている | プログラムは根源と観照者によって起きていると言明されている | 意識現象界に触れてプログラムと同一視してしまった魂。魂と観照者が共同で転生前にプログラムを選択するらしい | 全ての現象界の出来事・運命・行為・思考は根源のプログラムによる映像・上映であると言明されている (この認識は真我によるものであって、私である自我は自分が行為者だと錯覚している) |
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プログラムは根源からと悟得し、プログラムを観照していると云われている | やってきているプログラムのこと(出来事、行為、思考)は魂ではないと感じる、自由意志はないと理解している | プログラムのことを、あり得ないと全く拒否し、行為は起きているということを否定し自由意志があると思っている | プログラムの結果なので自分は結果であることに全く気づかないで自分が行為していると思っている | プログラムのことは聴いても全く理解しない | ||||
ただ一つであるものと言明されている | 不生・不滅という自覚を持っている意識である、と言われている。 | 低次部分は、根本無明に覆われてしまっており、自他が分離していると思う第1想念に覆われている | 頭脳を経由して実在の上に世界と「自我(エゴ)としての私」を投影していると言われている | 転生の際に記憶を中断させられたと言われている(記憶の継続体)サイコノエティック体と言われ、高次の意識と遭遇すると眠って無意識になる | ||||
「見るものは見られるものである」と言明されている。自己は全くいないという。全く個人や自我ではなく、魂ですらないと言われる | 高次の魂は自我が脱落し、人類は一つという実感を持っているという | 身体を自己と錯覚し世界を外部に投影している見ていると言明されている。時間を生みだし内部と外部の分離を生み出した | 自我はプログラムに従って上映されている映像であり本当の私ではなく来ては去ると言われている | |||||
存在←完全意識+至福と言明されている | 愛・慈悲・智慧・生命と言明されている | 全体の部分(魂の高級部分が永遠のパーソナリティーと呼ばれている) | 自我を生み出す人類共通の根本の想念・私 | 人格や個人の主体で転生し続ける主体・通常の私(記憶を中断されている生き続ける自我・私) | 人格・個人・ワサナの思考や感情やその傾向 | |||
宇宙は絶対者の表れであり、絶対者が宇宙の創造者ではないと言明されている | 存在、意識、至福の状態と言明されている | 自己想起・自己観察を実施するもの(マインドに集中せず、全体として留意し、分離せず凝視する) | 心は思考なくして見られたとき消滅すると覚者によって説かれている | 自意識・自己関心。自分がどう思われているかを気にし、他人に関心がないので他人の批判ゴシップに夢中になる | ||||
マインドの超越、観察者の不在と言明されている、思考の超越、マインドの停止 | 思考を超えて自我のあるがままの観察の開始、思考を超えた領域には思考は全く及ばないことを理解する | 思考の限界を感じているが、思考で思考以上のものを叙述したりすることは出来ず、それは間違いと言うことを理解しない | 環境に流されて思考を使っていない人生、又は思考を鍛錬している領域・分離性、二元性の世界 | 記憶の鍛錬、育成。思考力の喪失、暗示だけで生きているロボット | ||||
我はそれと言明されている | 主体と客体の合一と言明されている | 魂が内側に向かえば真我、外に向かえば世界と自己の分離と説明されている。魂の感覚。魂の低次部分は可塑的 | 私が身体だという感覚又は幽体離脱した肉体以外の身体感覚、 | この現在のやってきている五感を自分の感覚と錯覚しているのが自我と言われている。体脱した自分という意識 | 与えられた催眠状態 | |||
此処には見る者がいない私がいないと言明されている | 高次思考では思考は働いていない・沈黙 | 特定の個人であり、特定の身体の中に生きると想像した根本無明 | 特定の身体と同一化した「自我(エゴ)としての私」・人格、名前を持っている個人 | |||||
何も起こっていないと言明されている | 全ては起こっている映像である、思考や感情や記憶や出来事を観照していると言われている | 思考や感情に振り回されない観照者を目撃している | 時間に束縛されて、自己改善し超克しようとしている、自我を終焉しようとする | やってきた想念(自分と思って)に対して、逃避したり、非難したり、同一視する | 自分にやってきている想念や感情・思考を全く自己と錯覚する | |||
いま・ここ・あるがままと言明されている | この次元は時間の停止「今」と言明されている | 感覚のスローダウン・多層次元の時間内の移動 | 時間の領域(過去現在未来) | 通常の時間感覚、未来を案じて、過去にくよくよする | 未来への不安、過去の罪悪感 | |||
全てが真我であり神である、身体も世界も存在していないと言明されている | 自我は始めから存在していないと自覚している絶対主体であると言明されている | 低次部分は善と悪の二元性の目で見ている、高次部分は世界にまで拡がる精妙なる意識身体をもっている | 自他が分離しており「自我」があると思っている、従って相手が悪者だと思っている | 自分が自我なのに、自分が自我であることに気がつかない | 全くの条件反応の思考と行動でしかない | |||
マインドが発生する根源と言明されている | 至高なることは、知られない、考えられない、記憶されない、経験されない、見られない、対象ではないと云われている | 低次の魂は、解脱しているのに解脱を願っている、解放されているのに自我によって束縛されていると思っている、真我は探求されることがないのに探求している。探求自身がマインドであるから | 〜に至ろう、神を知ろう、体験しようとするそのマインドとは真我があるので投影されているといわれる | やることなすことの全ては自己の利益を考えて打算の行動と思考。全ては自我の本性だが、それを隠して、無欲を装う | 欲望に覆われ、決して満足しない欲望の輪に陥り、欲望の充足のために神を利用し、それを神の信仰と称している | |||
生まれたこともなく死んだこともないと言明されている | 高次の魂部分が自我の次回の設計図を根源と共に描くと云われている | 肉体だと思うと物質界が霊体と思えば霊界が投影される | この記憶体が転生の際に眠りに陥り、新たなるプログラムをされて新しい肉体を得る | |||||
全くの自由の感覚という真の行為・意志の絶対主体と云われている | 高次部分は自由を求めている、プログラムではない真の意志に従うことが出来る | 束縛を感じている | 自由だと思っている、自分の意志で行為していると思っている | 自由の希求が起こらない、プログラムでおこる意志のことを自分の意志だと思っている | ||||