霊・魂・体
私達とは霊・魂・体の複合体だと教えられております。
その霊・魂・体の複合体が肉体に入り肉体の三つの脳と結合したのでありましょう。
その状態で短い人生を送った後に脳・肉体から離れて肉体の死を迎えます。
私達は死ぬと肉体から解放されて霊・魂・体ではなく霊+魂となるのでしょう。
私達、霊・魂・体の複合体は死ぬときに肉体から離れるからです。
では肉体を離れて肉体の死後の私達の意識は霊+魂の意識でありましょうか?
残念ながらそうではないことでしょう
魂を構成している私達の表面意識は未熟なため記憶に包まれ記憶と一体化して
いるので魂である自分自身を意識できていないのです。
私が思うに私達の意識とは表面意識の意識ではなく記憶の反応でありましょう。
私達の意識、それは殆どは魂を形成しているコーザル体の潜在意識にある
記憶の思考や感情である事でしょう。(ホ・オポノポノの解説図参照願います)
肉体にいたときにそうであったように、肉体を離れた後も
死後継続している意識とは、表面意識の意識ではなく記憶であることでしょう。
では、まだ肉体の死を迎えていないこの現在の意識とは霊+魂+体でしょうか?
霊+魂+体のうちの魂とはホ・オポノポノの言うように、超意識+表面意識+潜在意識から
構成されているといえども
魂を形成している私達の表面意識は記憶に包まれ全く殆ど目覚めておらず、未形成なので
表面意識といっても潜在意識の記憶(条件付けられている脳の記憶)と一体化している状態
になっております。従ってこの状態での意識は魂の意識ではありません。
私達が自分の思考や感情や行為と思っているものは記憶の思考や感情や行為なのであり、
もしそれが魂であるなら分離している知覚からの思考や感情ではなくて、自他に分離していない
魂からの高次のマインドによる高次思考、高次感情、高次行為であることでしょう。
私達魂を構成する表面意識は目が覚めていないのでこの世にいるときも、そして肉体を離れて
あの世に行ってからも目が覚めないのでありましょう。
私達は眠ったまま生まれて、眠ったまま死んで、眠ったままこの世でも霊界でも過ごすことに
なるのでありましょう。
私達魂と繋がるサイコノエティック体の表面意識(現在のパーソナリティー)は再形成
されておらず、眠っているので、記憶と一体化して、記憶に完全に取り込まれてしまっていて、
記憶から自由ではないので、記憶が思うように思い、記憶がするように為し、記憶が見るよう
見て、記憶が考えるように考え、記憶が話すように話しているので、記憶から自由ではなく
記憶と一緒に行為してしまっておりますのでその行為と思考の責任をとることとなります。
記憶と一体化しているのでカルマの責任をとることになります。
魂を形成している思考体(ノエティック体)、感情体(サイキック体)は、未形成であり殆ど機能して
いないので、肉体のDNAによって生起している思考や感情や行為、三つの脳から生じている
思考や感情や行為と完全に一体化しています。自分の思考や感情だと思っているのものこそ
が実は記憶なのです。記憶が記憶自身を私だと知覚認識していております。
私達であるサイコノエティック体の知覚や思考と感情を認識することができていない状態なので
ありましょう。
私達サイコノエティック体は再形成されていないのでDNAに従って、脳に完全に同一化してしま
っています。
サイコノエティック体が再形成されておらず、サイコノエティック体の目が開いていないからです。
では霊や私達を構成している「超意識である魂」自体はどうでしょうか?
私は霊のことは全く何も知りませんし、魂のうち超意識という霊魂・観照者に関しては全く
分かりません。魂はこの現在のパーソナリティーのことを愛のなか、暖かく見守っていることで
ありましょう。
私が朧気に分かることは、魂を形成している表面意識と潜在意識即ちサイコノエティック体は
三つの脳の状態に、そしてその条件付けられている脳の記憶によって完全にコントロールさ
れていて、私達が行っている見ることも、聴くことも、考えることも、悩むことも、苦しむことも
すべては記憶の反応、記憶の状態であるということでありましょう。
私達は目が覚めずに開眼していないので、肉体の三つの脳の状態がそのまま、自分の意
識状態になってしまっております。
DNAや三つの脳の状態がそのまま自分の意識状態になってしまっているのです
それゆえ
サイコノエティック体が形成されていない私達は痴呆症やアルツハイマーといった「意識に
関わる病気」から自由ではなく、脳が老化し呆けたのに、自分が呆けたと勘違いし、肉体
の死を自分の死だと思い違いしているのでありましょう。私達は目が覚めていないので
肉体の脳の状態がそのまま私達の意識状態になってしまっているわけです。
もし記憶から自由で有りサイコノエティック体の知覚があるのなら、脳や肉体や記憶から
自由で有りましょうから、夢を見る事も無く、熟睡中も「魂の意識」が継続していることで
ありましょう。脳の老化から自由で有ることでありましょうし、逆に脳やDNAの構造自体が
変化してしまうことでありましょう。
世間での似而非体外離脱ではなくて、真性の体外離脱を行う自由が在ることでありましょう。
魂を構成している超意識は今のところ私達の表面意識と潜在意識即ちサイコノエティック体
と繋がっているのに関わらず、サイコノエティック体が再形成されていないので記憶と混濁
しているこの表面意識では意識化されておりません。
それはサイコノエティック体が未熟で未形成のため表面意識が魂の超意識を知覚すること
も認識することもないのです。
私達魂と繋がっている現在のパーソナリティー(サイコノエティック体)は目が開かないまま
暗闇の内に生まれて、暗闇の中で肉体の死を迎え、そして死後も暗闇(潜在意識の記憶領
域)の中で生きているのです。
私達未熟なサイコノエティック体の表面意識が知覚し認識しているのは三つの脳の思考であ
り、その反応であり、その記憶だけなのでありましょう。
私達は記憶が行うように行ってしまい、カルマを作り出し、そしてそれがDNAに反映され輪廻
の鎖に縛られ、さらなるカルマを生み出し続けているのでありましょう。
私達は条件付けられている脳が生み出している記憶に感謝し、記憶を愛することで記憶から
解放され、本来の私達である魂の状態に戻らねばなりません。
私達は記憶という自我に対して同一化することなく、逃避することなく、感謝し、耳を傾け、抱き
しめ、愛を与えて、許しを請わねばなりません。
そのためには神聖なる「ありがとうございます」と言霊の力をお借りして、自分自身である記憶
を浄化しなければならないのでありましょう。