拡がりなさい、拡がりなさい、何処までも拡がりなさい・・ミルダッド


わたしの感想

このミルダッドの言葉は私達には単に詩的に語っているように思われますが
ミルダッド側から見れば、私達は一霊四魂から成る神の子なのです。
ですから拡がることが出来るのでありましょう。

私達は肉体ではなくて、肉体と脳に結合した現在のパーソナリティーであり
「I AM」セルフエピグノーシスなのであり、その私達である現在のパーソ
ナリティーはたましいと繋がるサイコノエティック体でもあるのにプログラ
ムされた脳に起こっている思考や感情や行為を自分だと錯覚しているのですと。

最初の呼吸で母胎にあるそのカルマによって用意されたその胎児の肉体と
同じくカルマによって用意された胎児のサイコノエティック体が私達セ
ルフエピグノーシス「I AM」と繋がったからです。

そして私達セルフエピグノーシスの意識は脳と結合した結果、カルマによ
って決定された脳と未形成のサイコノエティック体の持つ条件付けに縛ら
れてしまったのでありましょう。

従って、私達とはその魂と繋がる現在のパーソナリティーでありサイコノエ
ティック体でありセルフエピグノーシスなのですが、この現在のパーソナ
リティーのセルフエピグノーシス(I AMの意識)は殆ど機能しておらず
眠った状態なのです。・・というのも私達のサイコノエティック体(思考
感情体)が殆ど形成されていないからですと。


この私達が自分自身だと錯覚している「脳の知覚や五感・思考」は私達の
知覚や五感・思考ではないのに、私達現在のパーソナリティーはそのこと
を誰も疑いません。


肉体と結合した私達は「プログラムされた脳」に起こっている思考と感情
と行為を自分の思考、自分の感情、自分の行為だと錯覚してしまっています。


知覚している私、思考している私、行為している私、思っている私とは、
プログラムされた脳」に起こっている思考と感情のことであり、その
思考と感情を見ている私とは、その私が見ている対象なのですと。

そのプログラムされた脳」に起こっている思考と感情自身が
自分のことを対象として知覚認識しているわけです。

自分の中の自我を見てそれを非難したり、逃げようとしたりしている私とは
その自我自身なのです。その私が非難している自我とは私自身の姿なのですと。

自分が自分を対象として投影しているのであって、憎むべき目の前の相手
とは、また目の前の欠点だらけで私が非難している相手とは自分の姿なのです。
目の前の自我や、悪魔や敵や自分を襲う殺人鬼は実はその私自身なのであり
ましょう。記憶が記憶を対象として知覚しているのです。恐怖が恐怖を知覚
して恐怖しているのです。と。

私が思考を観察しているのではなくて、その観察されている思考がその見て
いる私であるという、この全き理解の中には分離分割がなく、「見るものは見
られるものである」・・とそのとき、その不二一元の状態の中にそっと「愛」
姿を顕しているのです・・と教えられています。

さて
その脳から起こっている思考や感情や行為に対して、私達の意識はサイコ
ノエティック体が形成されていないので脳のプログラムからの思考を自
分の思考と思い違いしています。そして思い違いすることによって
必然的にその記憶と同一化し反応してしまい、今度は私達が想念形態・
エレメンタル・記憶を創り出しカルマを生み出し続けてしまっています。

私達はセルフエピグノーシス「I AM」であって、肉体の脳の思考や感情や
行為や記憶ではないのですが、この私自身「I AM・セルフエピグノーシス」
脳に起こっている思考や感情や行為である私という観念(実は脳のプロ
グラムに従って起こっている)と一体化して何らこの人生で自分自身に目
覚めることがありません。記憶の反応を自分だと思い込んでいるからです。
これを書いている久保栄治を含めて「見るものは見られるものである」を
理解することはありません。私達は自分を知ることがないのです。
悲しいことに私達は目覚めていないので私ではないものしか知ることが
出来ないのです。私が知ることが出来るのは私ではないものだけです。


・・・私達は肉体と一体化しているので意識は脳に縛られてしまっており、
脳と一体化したことによって自分のことを肉体だと信じた結果、様々な
記憶(エレメンタル)をうみだし、今度は逆に私達がその記憶に支配さ
れてしまっています。


・・それに対してミルダッドはそのセルフエピグノーシス「I AM」であり
現在のパーソナリティーでありサイコノエティック体である私達に対して
その私達の四魂を成長させて時空に拡げなさいと言っているのだと思います。

しかしながら、私達が同一化している記憶の思考には「拡げなさい」とい
う言葉を詩的に捉えることしかできないのだと思われます。


ここでミルダッドが拡がりなさいと語りかけられている対象の私達とは
四魂から成る私で、サイキック体やノエティック体がある程度、再形成
されていて、意識を自由に使える段階になっている方々を対象にして話
しておられるのであろうかと思われます。

ミルダッドが言っていることとは
肉体はどこの場所に居ても、意識(セルフエピグノーシス)を肉体から
移動させて、即ち表面意識を肉体の脳からその成長したサイコノエティ
ック体に移動させて・・・

この表面意識を世界まで拡大したサイコノエティック体に移動させて・・
世界の異なる場所から、(例えばパリと北京や南極)それぞれの状況を
同時に見たり聞いたり、出来事を体験することが出来るということで
す。その出来事、その状況に参加したりすることも可能なことだと
言っているのだと思います。


おそらく成長しているサイキック体には脳の条件付けられている空間の
知覚認識に縛られてはいないので、地球上のあらゆる場所に空間の制
約なしに拡大することが出来て複数の場所に同時存在することが出来
るのだと思われます。

というのも再形成されているノエティック体は脳の持つ、時間空間
の概念(脳の持っている時間空間の認識形式)という制約から解放
されておりますから・・・。


このミルダッドの言う「拡がりなさい」という言葉が意味することとは、
即ち脳の持っている過去現在未来という脳の時間に関する認識形式を超えて
時空に縛られないサイコノエティック体が拡がって過去と未来が同時に存
在している超知覚認識できるようにサイコノエティック体(四魂のこと)
を拡げなさいと言っているのだと思われます。・・・この知覚が本来の
私達セルフエピグノーシスの知覚であって、現在の五感とは私達の知覚で
はないと言うことなのであります。


というのも私達が誰しもが何ら疑うことなく実感しているこの時間空間という
認識の形式は条件付けられている脳が時間と空間という知覚認識を生じさせ
ているのであって、それは諸体の知覚認識とは異なっているということであ
りましょう。何故なら四魂というサイコノエティック体は肉体のように物質界
にのみに対応出来る様に創られている身体ではなくて、サイコノエティッ
ク体は時空を超えている次元に対応出来るように創られている身体であり
それは肉体脳には理解出来ないさらなる高次元に対応している身体である
からでありましょう。


それであるからミルダッドは過去にも拡がりなさい!、未来にも拡がりなさい!
地球を被うほどに拡がりなさい!!
それはとりもなおさず意識・セルフエピグノーシスを肉体の脳ではなく成長し
たそれらの諸体へと移行させるのです。・・と言っているように思えるのです。

神道の川面凡児が南極や世界のことを東京にいて熟知していたように、
意識(セルフエピグノーシス・表面意識・ヴィジュアナマヤコーシャ)
を、肉体の脳から成長し拡がっている諸体(四魂)に移行させることが
出来れば、時空の制約を受けることなく、私達は
時空に拡がり、同時にあらゆる世界の状況を知り参加することが
出来るのだとミルダッドは言っているのだと思われます。



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