■良くなることは良きことの否定である
クリシュナムルティーは常にこれを直示した。
マインドに汚染されている限り、私達の存在が汚染されており、従ってすること、はそのレベルで決定されているため常に分離の道をたどると言うことである。
しかし、これは真理であるが、この現象界の私達のレベルに置いては、これだけが解放への道ではなく。
次善の道や、方法も存在する。
勿論、次善は究極の善を否定していまい、最悪は道を誤らせてしまう恐れが多分に存在する。
しかしこのことを肝に銘じての次善は、私達にとって役に立つ場合もあるということだ。
これはクリシュナムルティーの立場とその役目からは人類に対して言えなかったことだが、私などにとっては、彼の言明をその条件として次善は究極への必然とも言える場合があるのだ。
ということである。
これはクリシュナムルティーの人類への役割がそのように言わしめたのだ。
しかし具体的なこの現象界で悩んでいる人にとって、そのレベルを上昇させるためには、その次善を提供する必要もあるのだとおもう。
いくらその彼の言う、非分離の沈黙に行きたくとも、その前提状態の、解放が必要となる。
その解放とは、
まず経済上の束縛からの解放、
肉体の病気からの解放、
五つの身体の縛りからの解放、
自分を厳しく縛っているカルマからの解放、
そして霊的な進歩を阻害するワサナからの解放、
自分の行動や想念を縛っているトラウマや低レベルの潜在意識からの解放、
仕事からの解放、
雑事からの解放、
チャクラの上昇を妨げている様々な束縛からの解放、
先祖の因縁からの解放、
欲望からの解放等などあげればきりがないが、それらが実際にその個人を束縛している。
実際問題として病気に苦しんでいる場合は「良くなることは良きことの否定である」といっても、その言葉の基準であるレベルに達していないのでその言葉は虚ろに響いてしまうことだろう。
だからその人にとっては、もし道を求めている場合に限って、そこ病気からの解放が必須である。だからまず、この病気から癒されることが本人にとっての求道の推進にもなるのだ。