戻る










人はどうやって本物のマスターを認識するのですか




この問いに答えてラマナ・マハリシは以下のように言っている(ラメッシ「意識は語る」より抜粋)



「熱心な探求者にこれをしろ、あれをしろと指示するのは本当のマスターではありません。

探求者は既に自分の活動によって苦しんでいて、平和と休息と静寂を求めています。

探求者が必要としているのは、


自分の活動の休止です


もし先生がそれに付け加えて何かをやるように、あるいはその活動の代わりに

何かをやるように言うなら、それは探求者を助けることにはなりません。


活動は心の中にイメージ、観念化を生み出します。


個人的努力としての活動はエゴを強化することを通じて人の幸福の本質的な状態

サット、チット、アーナンダを破壊することを意味しています。

もし教師やアドヴァイザーによって活動が提唱されるなら、

その人はマスターではなく破壊者です。


そういった状況では、創造者であるブラフマや死の神であるヤーマーがマスターの

ふりをしてやってきたと言われることでしょう。


そういった人は本当のマスターではありません。その人は探求者を解放することが出来ません。

探求者の足かせをただ強化することができるだけです。」



また続けてラメッシは

この「非個人的な進化」が、起こっていることの全てであり、最終的な悟りとはどんな個人の変容でもなく


態度、観点の変容であり、

一体化された意識(注:肉体にと、と言う意味か)が非個人性にかわる変容です。


「悟りに到達する個人はいない」 

と言う理解が訪れるのです。


・・・と述べている。