言葉・書物・情報は不適切な伝達方法だ

言葉は概念として、
観念として
私達のマインドの領域の伝達方法、共通言語だと思う
この三界での、このレベルの存在の伝達手段だ。

それは私達の今いる、この現在の地球の進化レベルでは、
感情や知性、思考、想念、想像、創造、芸術、文化など全ての領域で

言葉即ち源言語が共通の伝達方法であり手段だ。

この私達の感情や思考・知識の伝達は言葉を介して意思の疎通が行われる。

私達とは即ち分離性である。二元性である。

この分離性の世界は言葉という、あらゆる過去の時代で世界の共通の源言語から成立している。
これは、これが
マインドの領域である。

いま
あなたが読み、私が書いているとき、両者ともに支配されているのがこの領域。
マインドだ。
このマインドの本質は
自と他を分離している。
時間と空間から成り立っており、世界と宇宙を外に見ている。

分離性
二元性から成立している

しかし
分離がある限りは
ここには愛がない。

愛とは非分離性、非二元性、全体性である。

この領域の体験が近頃、非常に多くなってきている。素晴らしいことだと思う。
勿論カルキやニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシやクリシュナムルティーはここの全体性の領域から話している。
しかし
“言葉を使って”である

ここで、私達が注意しなくてはならないのは
書物や知識や情報は言語・言葉で成り立っているので
それは二元性・分離の世界では伝達方法として成立しているが
リアリティーの全体性の世界、非分離の世界の愛や、英知や、喜びや、平安や、非二元性の世界のこと、この現象界の実相は
書物や言葉では伝達不能だということだ。

又それは、我々の同じ三界レベルでの他の方法、即ち超感覚的な超視覚、超聴覚、等の方法や、直感や啓示、象徴的言語や幾何学的形象の直接伝達、現在レベルでのテレパシーなど
これらも
同じく二元性の分離世界の伝達方法であり、言葉と言語を共通にして、マインドの領域である。

従って
覚醒者のその、「愛」や「英知」や「体験」は、書物や言葉などでは伝達できないと言うことだ。

彼らの伝えようとしている、その中身を受け取り、伝達され、理解するためには

言葉によらず、
知識によらず、
情報によらず、
超感覚によらず、
直感によらず、
地球レベルのテレパシーによらず、
分離性レベルの霊感によらず
彼らの非二元性の伝達方法に依拠しなくてはならない。これは真性テレパシーでもある(地球レベルではない)。
しかし
現在の私達には、非常に残念なことに、この分離性の言葉による方法しかないのだ。

だから
結論からすると
覚醒者の体験したそのレベル、その中身は私達に伝達不能ということになる。

私達は、いくら書物を読み、言葉を聞いて、修行しても、私達の理解できるのは源言語を元にしたマインドだけなので、それを超越した、非分離の世界のことは一切理解不能なのだ。

理解するためには
私達に恩寵が与えられなくてはならない。
私達がする
努力や方法は到達できない。

唯一、の希望は
瞑想である。
現象界からの感覚を、五感からの入力を遮断して、目をつむり、内なる非二元性、非分離性、全体性、愛に英知に、標準を合わせるのだ
真我に標準を合わせるのだ

そこへ
標準を合わせ、
「何もしない」で
「ただ座る」のだ。

救いは、必ず起こる
なぜならば、彼らは愛であるからだ
彼らは待っているからだ

求める者は必ず与えられる
彼らが私達を求めているのだ。
何故なら、彼らは待っているからだ。

この真実の奇跡、分離の壁を破ることは必ず起きる
何故なら、それが運命だから。                                       
必ず、全員がそこに至る
何故なら、始めからそこにいたのだから。                                             戻る


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