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私の奥に



感情の奥にあって感情を超えて感情を見ている。

思考の奥にあって思考を超えて思考を見ている。

意識の奥にあって意識を超えて意識を見ている。

知覚の奥にあって知覚を超えて知覚を見ている。

記憶の奥にあって記憶を超えて記憶を見ている。

心の奥にあって心を超えてすべての心を見ている。

私の奥にあって私を超えてすべての私を見ている。

即ち

覚醒の奥に覚醒を超えて覚醒を見ている。

夢見の奥に夢見を超えて夢見を見ている。

熟睡の奥に熟睡を超えて熟睡を見ている。

意識・無意識の奥にあって意識と無意識を超え意識と無意識を見ている。

私の奥に私を超えてすべての私を見ている。


これらの未知なる見るもの(心・意識を超えているもの)は見ている私を見ている。

この目なくしては見ている私はあり得ない。

これなくしては意識も無意識も心もあり得ない。

これらの未知なる見るものは、地球人類の全ての見ている私を見ている一つなる唯一なるもの。



見ている目を見ている目。

其れはすべてのあらゆる心臓の位置の奥にあって生きている生命自体。

其れはあらゆる者の心臓の位置の奥にあって、全ての次元に浸透している見られることなく見ている目。

見ている者を見ている未知であり非分離の一つなる目である。

この自他に分離してなく唯一で、かつ未知なるものなくしては覚醒も熟睡も夢見もない。意識もない。心もない。自己もない。

次元を超えて、思考なく、心なく、私なく、見る者を見ている目である。

と教えられている。