転生するもの、しないもの
転生しないものは波動の良い悪いの領域を超越し、その計測の次元を全く超越している
波動とはマインドの領域であり、それは、このマインドによって知覚されるが、
転生しないものである「あるがままをあるがままに見ること」は
マインドによっては触れられることのない「気づき意識」領域・次元でありその全ての波動マインド界を超越してる。
波動は高いものも低いものも、マインドである。マインドの領域のものであり、想念形態とも云われている。
覚者の方々が波動に言及されないのも、「思考は物質」であり、「物質は波動でもある」からであり
「気づき」はこの思考・マインドである波動世界を超越している、それを成立させている基底と言われている
転生するもの、しないものの久保栄治の想像図である、あなたはどうおもわれるか
また久保栄治の想像している、この転生していない魂と転生している「自我(エゴ)としての私」の関係図である
現在の人類の現在意識は熟睡時に真我と触れていることを意識できない(眠っている)マインド意識である。それは即ち観察者という魂・第1想念意識ではなくて、自我の意識であり。現在の顕在意識とは自我のレベルであるが、受動的な自己観察を始めることで魂意識・高次思考レベルへと突入する
第1想念とは真我から発生した私と言う想念。自我の大元の想念である私(二元性の根源である。この根源のわたしを分離なく受動的にあるがままにみられるとき、それは実在していないと云われている)
このプログラムの運営と管理を行い、カルマと輪廻転生を司っているのが、神々と天使を率いるマインド意識の全体性である神・イシュワーラ神であるとラマナ・マハリシはいう
第1想念がプログラムである思考や肉体や欲望を見て、自分自身と錯覚した
(プログラムに従って脳内で起こっている思考・感情と同一化した魂・第1想念の記憶の塊が、自我である。そしてこの自我が私は行為しており、外部に世界があると信じている。更に逃れよう、至ろうとして動くことでカルマを生みだし、このカルマによって転生が続くが、これもプログラムの一部であるる)