自らの光たれ
法灯明・自灯明を我がものとせよ
これは上江洲義秀先生の講話のなかでいつも出てくる言葉である
権威づけをすること、権威を頼ること、自分が権威になってしまうこと
それが現在の地球人類の頭脳の条件付けの最大のものである
と
これはクリシュナムルティーの言葉である
結論を求めること、ランクを付けること、そこに至る方法を求めること
結論を与えること、ランクを与えること、そこに至る方法を与えること
権威を受け入れること
権威に自らがなること
これが最大の条件付けである
対象である神に寄り頼ること、神を権威として受け入れること、神に従うこと
私を頼らせようとすること、自分を権威とすること、自分に従わせること
これが条件付けられた頭脳である私達のマインドの行う図式である
それは、神を実現することではない
それは法灯明・自灯明を我がものとすることではない
それは自らの光になることではない
自らの光であるためには、この権威から去り
自らが自らで学ばなくてはならない
このマインドから解放された
気づきの覚者はこの
権威付けという条件付けられたマインドの仕組みを見よと言っている
虚偽を虚偽と見ることがそこからの解放であると覚者は言う
虚偽とは、錯覚とは何か
自分と他人が分離していると錯覚すること
自分が輪廻転生している実体であると錯覚すること
見る対象世界が、地球が、人類が、宇宙が、他人が内部ではなく外部の別の存在だと錯覚すること
自分が個別的存在である、個人であると錯覚すること
自分が肉体(複数の精妙体)であると錯覚すること
自分が感情であると錯覚すること
自分が知性や理性やマインドであると錯覚すること
自分が内部であると錯覚すること
自分が真我ではないと錯覚すること
自分が全ての全てであり、あらゆる所に遍在し、あらゆる過去、未来に在るものではないと錯覚すること
真我以外に神を外に求め、自分が神ではないと錯覚し神を外部に礼拝したりすること
この錯覚を
この虚偽を
虚偽を虚偽と見よ!
錯覚を錯覚と見よ!
その見ることの中に、その見ることが真理であると言われる
その虚偽を虚偽と見ること
錯覚を錯覚と見ることを妨げているのが条件付けである
その最大のものが
即ち「権威付け」という条件付けであると言われる
この権威付けが、権威を求め、結論を求め、方法を求めることで
自らが学ぶことを遠ざけてしまい
自らが自らの光になることを妨害する
たとえ釈迦の光であっても、それを外部に礼拝してはならない
神は外部ではない、私が宇宙を照らす光であり、それを外部に在ると錯覚して礼拝してはならない
クリシュナムルティーはそれを徹底して自分以外にあらゆる権威を求めたり、
その権威を礼拝することなどを戒めた
そして
内部に自らの光を、既に輝いている光を再び見つけることを強調し、
外部にグルを求め権威づけることを否定した
光は既に内側にある、
それを被っている錯覚・虚偽を錯覚・虚偽であると見ることによって、
それは取り除かれると
言われた
権威を受け入れること
神の権威を受け入れることは神を否定することである
神は権威ではなくI AMである、真我である
だから
神の権威を受け入れてはならない
神は権威ではなく、神は、真我は、私達の僕として現れるであろう
キリストが、従僕のように弟子達の足を自らが洗ったように、謙虚である
神は決して、権威としては現れないことを、私達はここで改めて再確認しなくてならない
神は内に既に在るのだ、真我が神なのだ
I AMが神なのだ
愛が神なのだ
神がもし外部の、対象として、この世界に顕現したりするということは、
まだ目が開いていない私達にとっては、それを安易に受け入れてしまい
それに寄りすがり、
それを権威として受け入れてしまい、その結果自らが自らの光であれという
ただ一人で神の真我の前に立つという
ただ一人で歩む、
というこの真我実現の道から大きく外れてしまうことになる
その外部の神、それは神ではない
それは神であるなら
私達を
自らが自らの光であるように導くであろう、
私達には権威とは決してならないように導くであろう
真の神は決して権威として出現せず
私達を写す鏡として出現するだろう
権威として出現した神は神ではない
であるから、私達に対象と顕現したその存在は私達から搾取しようとしている
であるから私達に対象として顕現したその存在は真我ではない、神ではない
神の名は「I AM」でありわ・た・しである
それは真我である
真我以外に神はない
それは内と外に遍在している
あなたであり私である
真我は共に一緒に学ぶように私達に働きかける
上江洲義秀先生の講習会の最後に、必ず彼が言う言葉を思い出してもらいたい
「共に学べたことに感謝します」
と言う言葉である
また真我は私達に等級を付けたり、ランクを付けたり、褒賞を与えたりしない
もしそれを、その或る存在が
私達に等級を付けたり、ランクを付けたり、褒賞をあたえたりするならば
それは真我ではない、
神ではない
真我は真我として
全ては一つなのだ
あなたは私であり
在る特定の個人を依怙贔屓したりしない
それを望むのはマインドであり、偽りの人格である
転生している想念の私であり、それは真我ではない
そして、そのようにそれを行うのはあなたを支配し、搾取する目的があるもののみであり、
それはマインドの範疇にあるのだ
それは神ではない
この虚偽を虚偽と見ること
この偽善を偽善と見ること
この錯覚を錯覚と見ること
それを見ることの中に
この中にこそ、招かれもせず、求めもしないのに
そこに
そっと真理がある
そのように覚者の方達は言う