神が自我を演じている



ラーマクリシュナは次のように言っておられる。


ブラフマンの智者は、

内も外もすべてが実は、最高我・パラマートマーであることを見ます。

水が二つに別れて見えているだけです。

内と外という感じがするだけです。


「私」という瓶があれば、そのような内と外という二つを見ている意識に

なってしまうのです。

その「私というもの」が、もし消え去れば、そうすれば、あるものがある

だけです。

 
人は純粋精神によって動いているのです。

その純粋精神によって、非精神的物質に至るまで精神(有実在・知叡智)

になっているのです。


その純粋精神によって手も足も、身体も動いているのです。

人は身体が動いているのだ言いますが、

しかし

あのお方(神)が動かしておられるのを知らないのです。


あのお方(神)が、させるのでなければ何も出来ないのです。

あのお方が、瞑想をさせることによって、人は瞑想をすることが出来るのです。」