四つの次元の目



覚醒時の意識(肉体の脳の意識)
夢見時の意識(サイコノエティック体の脳の意識)
熟睡時の意識(心を超えている個別的霊魂の意識)
熟睡を超えている意識(全体性の超意識)
の私的な考察

私達の意識とは
以上の四つの意識から
構成されているが
上記の上から二つの脳の状態が条件付けられて混濁しているため
三つの目と四つ目の意識が上記の二つの脳には意識化されていない
現在意識とは物質脳の事であり
この物質脳の状態に現在意識は左右されるが
意識を超えているものは現在意識に関わらず実在している。
と信じている。



①:日中通常の意識

日中の目が覚めている意識とは勿論、馴染みのある物質脳の意識、脳の記憶の反応から成り立っている。
現在意識とは物質脳の状態だからである。

この脳の状態とは私=思考・感情であり、程度の差はあっても基本的に条件付けられているので人類で同じである。
あるがままを知覚することも出来ないし、理解することも出来ないので
善悪、好き嫌い、愛憎、悪魔と天使、敵と味方などの二元葛藤と分離区別から離れることは出来ない。
これらの分離二元、葛藤や恐怖や苦痛を非難し逃げようとすることそれ自体がこの意識状態の特質である。
しかし明晰夢や夢の中で気づくこと等を経て諸体や物質の脳が清まり思考が純化、沈静化するに従って
②以上の意識を受信できるようになるが、それは決して諸体のずれである霊能や霊感の発露発現ではない。
それらの諸体の傷からエレメンタルの意識を受信することでもない。


②:夢見時の意識

夢を見ている意識とは、馴染みのあるサイコノエティック体即ち形成途中のアストラル体、メンタル体の脳の意識のこと。
死後も一時的に再誕までは継続していく諸体の脳のこと。
死後も継続するが再誕のサイクルでは消滅するところの、今世に於けるこの諸体の脳の記憶のこと。

これらの諸体が正しく再形成されるにつれて徐々に明晰夢、若しくは夢を見ている事に気がついているという状態となっていくのは
それだけサイコノエティック体が正しい本来の形になっていくと言うことである。
再誕のサイクルに於いてはこれらのサイコノエティック体は魂の記憶体であるコーザル体へとそのエッセンスが吸収され
このサイコノエティック体及びそのエーテル複体はそれぞれの次元の元素へと還元されていくのは
肉体の死後に肉体は灰に記し、肉体のエーテル複体も元素へと解消されていくのに似ている。
死後の世界からさらに深い眠りの中で
肉体を脱ぎ捨て、諸体であるサイコノエティック体をも脱ぎ捨て、成果とエッセンスはコーザル体として
全体性を構成している一細胞とも言える個別的霊魂に吸収され、再びカルマやサムスカーラを伴って
サイコノエティック体を随伴して、この個別的霊魂が母親の胎内に宿るのである。


③:熟睡時の意識

熟睡時の意識とは個別的霊魂の意識・気づきの状態であり、現在意識である脳は休んでいる。
脳が理解できるのは思考と感情であり、思考でなく感情でもなく自己でもない心を超えている個別的霊魂の意識を認識できない。
個別的霊魂の観照意識・気づきとは思考や感情ではなくて分離意識でもなく見る主体と客体の分離がないので
このマインドがない状態を、物質の脳ではブラックアウトと解釈してしまうのである。
現在の人類の条件付けられている物質脳は思考や感情を超えている意識や気づきを知覚し認識できないからだ。
現段階の脳では思考・心・自己のみを知覚し認識しており、気づきは知覚できない。

熟睡とは何もないのではなくて脳が休んでいる状態であり
現在では私たちには肉体の脳も諸体の脳も再形成されていないので、この思考が無い状態を知覚し認識することが出来ないのである。
このときには個別的霊魂の一部が一時的に肉体の脳から離れているのかもしれない。

この意識とは脳の最内奥にあって思考や感情を、「思考なく私なく観照している意識」のことであろうが
現在意識化されないのは肉体脳の最内奥部分が正しく機能していないのかもしれない。

この熟睡時の意識とはラマナ・マハリシ達の言う意識のスクリーンのことで有り、「意識の座」と言うべきものであろう
意識や無意識そして自己や他己が来ては去っていくスクリーンであり、その去来する意識を観照している思考ではないものである。
統覚機能という機能を持ちつつ、個別性を支えながらも個別性ではない全体性のものである・・これが個別的霊魂と言われるものだ。
思考や心ではなく思考や心を支え、自己ではなく自己を支えている意識の座・・・これが熟睡の意識だ。

肉体やサイコノエティック体の脳に於いては熟睡を、全くのブラックアウトとしてこの熟睡中の意識が認識されないのは
この熟睡時の意識が記憶や感情や思考という意識ではないことを示している。
この熟睡時の観照意識を現在の肉体の脳やサイコノエティック体の脳の状態では受信・認識できないのであろう。

熟睡時のブラックアウトの意識中断とは肉体の脳やサイコノエティック体の脳が条件付けられているために正しく機能していないのであり
この個別的霊魂の非思考、非感情の意識が肉体の脳で意識されるほどには脳が高次に機能していないと言うことを示しており
この肉体の脳が条件付けを外されて正しく機能をしている場合にはこの熟睡中のマインドを超えている意識を
脳で意識化でき認識できるのであろう。

私達人類の脳が条件付けられている段階ではその個別的霊魂という非思考の意識=観照意識が
物質の脳やサイコノエティック体の脳では意識されないということだ、思考ではないからだ。
これが即ち熟睡である。

もしこの個別的霊魂の意識が受信できるほど脳が正常化した場合には物質の脳は熟睡していて
サイコノエティック体の脳は夢を見ていない状態の中で熟睡中でも個別的霊魂の観照意識が認識されていることだろう。

もし、この熟睡時の意識が意識されるほどに物質脳の受信機能が働き出したときには、この幾世におけるサイコノエティック体
や物質の脳の記憶のエッセスを意識化することができ、各世輪廻の個人の有様を意識化できることであろう。個別的霊魂と繋がったからである。
もしそれが③を超えて④までもが意識化される場合にはあらゆるすべての人類の過去現在未来に渉る全ての記憶のエッセンスを意識でき
この意識のなかで全ての過去・現在・未来の人類の全ての記憶を理解できるようになることであろうか。

この個別的霊魂の意識状態とは非個人的であり、全く私と言う「脳の条件付け」が解除された状態であり
この熟睡を意識している意識に於いては個人的要素や自分と他人の分離葛藤が無い状態であろう
思考なく、私なく内部と外部を観照している意識状態であり
仕事中も、食事中も、あらゆる日中の覚醒中も、そして夢を見ている中でも思考なくあるがままを観照している目
脳と記憶の反応や動きを分離なく思考なく見ている目でもあろうか

しかし、このためには観察者(思考)が本当の意味では見ていないことを認識する必要があり
その前に観察者を観察する必要があり
さらにそれ以前に観察者(自我)が確立していなければならない。



④:第4の意識

第4の意識又は熟睡を見ている意識、生命を支えている意識、輪廻を超えている意識。
生存ではなくて存在の意識
個別的霊魂のように肉体に入らない全体意識
私達にとっては全く未知なる意識ではあるけれども、これなくしては熟睡も夢見も覚醒時の意識も成立せず
意識を支えている超意識と言えるものであり、全体であるものである。
私にとっては全く未経験、全く未知なる意識である。

この普遍的な非個人の全体性の意識、これなくしては熟睡も夢見も覚醒もなく
これなくして三界という現象世界はあり得ない。
即ち現象世界の奥にあり、現象界を支えている意識であるといえようか。
この意識こそ熟睡と夢見と覚醒を支えている意識である。
この意識は私やあなたや生き物の全てにあり
全ての個別的霊魂の基底に在って、全ての個別的霊魂の意識を内包している意識であり
全ての生物や無生物そして動物や植物の熟睡の基底にあって、これらの熟睡を支えている未知なる意識であると思われる。


もしこの熟睡を見ている第4の意識が、或る個体に発現した場合には③、②、①の熟睡、夢見、覚醒時の意識も大きな影響を受けて
これ以下の意識は透明化するであろう、変質することだろう(チャクラ等の開花ということ)
この状態の意識は全ての個別的霊魂を更に基底から見ている目であり、まさに全体性の目とも言うべき超意識状態でもあろうか。

この第4の意識である目はいう「観察者は観察されるものである」・・・と
この「観察者は観察されるものである」は心の次元から出ているのではなくて心が停止している次元から発せられている。