明晰な思考というものはあるか
私達の意識の中に
自己観察の出来る意識が生まれる必要がある
クリシュナムルティーの言う自己観察は気づきから行われている
この気づきは私達、人類の今の段階の意識ではない
従って
この現在の人類の意識で自己観察は不可能である
気づきという全く新しい意識が誕生する必要がある
この気付きという非分離性の意識は人類が今まで捕らわれていたマインドとは全く別種である
それを一言で言い表すと
今までの人類の意識は二元性・分離性である、即ちマインドである、思考である
クリシュナムルティーの意識は非分離性、非二元性であり、「見るものは見られるものである」の意識である
この意識は私たちのこの現在意識にとっては否定的にしか接近できない
そしてこの気づきの意識そのものは自分の中に全く新しい意識として誕生しなければならない
真我の我在り・I AM THATの意識である
彼は、多くの先覚者と同じように人類の未来の姿であると同時に本来の姿である
今の人類のマインドがその延長線上にて成長したり変革したり、進歩してその気づきの意識に到達するわけではない
自分の意識の中にその非分離性の意識が目覚めなければならない
その意識とは
真我であり、全体性であり、一命一体でもあり、ワンネスでもあり、私は世界でもあり、多くの表現があるが
非分離性、非二元性がもっとも代表する基幹的な特徴である
分離していない意識
一体である意識
自と他を分けない意識
世界が自分の中にある意識
対象の、そして自分という主体の存在しない意識
人類の味わったことのない真実の愛の意識
時間という観念がない意識
我は神であるという意識
これは、現在の私達の意識からみると全くの未知なるものであり、想像は出来ない
、思うことは出来ない、思うこと自体が私達の意識では不可能だからである
それは誕生する必要がある
真我が目覚める必要がある
その全く別種の意識が生まれる必要がある
そこで
多くの混乱が生まれる
自己観察が出来ていないのに更なる錯覚に捕らわれて、
自己観察をしていると思ってしまう、
気づきが生まれていないのに何故自己観察が出来るのだろうか
自分がワンネスであり、愛を行っていると信じてしまう、
愛とは行うことではない、
愛は存在の状態なのだ、
真我が目覚めて、
自分と他人の分離がないとき、愛はそこにあり、
実行したりしなかったりする問題ではなく、
その人自体そのものが愛なのだ。
だから
真我が目覚めていない限り愛は行えない。
何故ならそこには動機というものが在るからだ、
動機こそ愛とは全く反対の意識から来ているものだ。
多くの体験が混乱を招いている、
神と会う体験、天使と語る体験、神が我が内にあるという体験、
そしてその神が内側から自分に語りかける体験、神が奇跡を現す体験、神が出現する体験などなど
それらに共通することは、
それを見ていて体験している主体たる自分がいるという事実を忘れている。
この主体たる自分がその体験を認識していること自体がその対象は神ではないことを証明している。
真実の体験は対象としての神はいないのだ、私はいないのだ。
何故なら神は対象ではなく真の私であり、真我であり非分離性そのものであるからだ、
全て内側からの非二元性の体験なのだ
一番の奇跡は、最大の神秘は自分がいないということに出会うこと、それを体験することだ。
自分がいない!!
それこそ最大の奇跡である。
このとき神は路傍の野に咲く花の微笑としてそこにあるのだ
だから注意する必要がある。
神が内側からでも外側からでも自分に対象として出現したときは、それは神ではない。
神とは自分がいないとき、自分が全く存在しない非分離性の中の野草の微笑なのだから
この混乱はエネルギー現象や多くの体験として今現在混乱を引き起こしている
しかし
これこそマインドの一番得意とすることかも知れない
私達の意識であるマインドの特色を
ここに列挙した
順番は不動でその特徴を挙げたい
@自己の感覚
最大のパワーと愛と叡智と能力を持ち神秘体験をしていると思っているその主体意識・
私という自己感覚、自己意識、パワーの感覚、権威の感覚
しかし残念ながらその意識は
分離性に捕らわれ相手をそして自分を対象と見ている
自分と一つの中に在るものとしてみていない
A時間の概念
思考マインドの最大の特徴は時間の概念であるということ、
過去や未来が存在するという仮定の下で思考している、
気づきの中には今しかなく、
過去とか未来という想念や思考は生まれないそうである
B恐怖
思考・マインドの最大の特徴は恐怖であるという、
自分に恐怖がある、又は恐怖であるという感覚そのものがマインドであり、マインドから発想している
そのとき自分とはマインドそのものである
Cなること(進歩・成長)
真我になる、悟りを得る、覚者になる、愛深き人になる、神になる、
良くなる、立派になる、非分離性を持つようになる、
宇宙と一体になる、ワンネスになる、
など、この時間の枠内での成長するという観念自体がマインドである、
事実は良くならない、
神にはならない、悟りはない、真我にはならない、愛深くならないであり、
これらの現在の私の意識とは全く別種の意識がこの意識の座に生まれるのであって、
この私という意識の延長線上にあることではない、
このマインド・思考の意識は死滅することが起こるだけである
このマインドという意識は何処まで行っても分離性、二元性である
苦悩・悲しみ・恐怖がこの意識の中身だ
D動機を持っている
私たちの行動や、思考や、感情の裏に奥に意識されない動機を持っている、
この表面の意識に現れない動機が在ること自体、
私達が今現在マインドに捕らわれていることを証明している、
動機、目的、理由、原因を持つことはマインドの特徴であると思う
Eどうすればいいのか、方法を尋ねること
これは一見真剣な探求心を現しているかのように思えてしまうけど、
実体は全くの逆で、学ぶことを避けるためにマインドは到達する方法や手段を与えられることを、
乞食のように願っている、私達は結論を与えられることにより
学ぶことを放棄してはならない、見ることを放棄してはならない
F体系を求めること、知識を求めること
未知なる真我の状態を、
マインドが把握しようとして、知識や概念を用いて体系化する、
そして分類して、整理して、命名する、そして分かったつもりになる
これが思考であるマインドのやり方で、
今の文明はこのやり方で築かれている
G権威付け
解決を与えられること、答えを得ようとすることは、
解決から逃げようとするマインドの特徴だ、
同じように答えを得ようとすることもマインドの特徴で、
そのためには自分が権威をどこかの教祖や神や聖人に与えて、
そこから答えを得ようとする
H言語化
I選択すること
J比較すること
Kイメージ形象化すること
L頭で分かろうとすること
M欲望
N自己関心・主体意識
O段階・レベル・次元・段位
あなたはどの段階ですとか、あなたはどの次元ですとか
あなたのレベル、霊的階位は何番です、何位です、等などは真我が行うであろうか
真我は
そのような等級を付けることはしない
本当は
既に全てが完全で完璧、完成している
マインドが私達の思考が作り出した意識がそれを問題にしているのだ
その階位の元である個人性を作り出しているものこそマインドではないか
だから
段階・レベル・次元・階位を付けることがそのことがマインドの特徴なのだ