高次思考センター・高次感情センターはいつでも機能している
それに気づかないだけだ
気づきが発生していないだけだ
ニサルガダッタ・マハラジはいう
“あなたに必要なのは、気づいているに気がつくことだ
(※太陽は輝いているのにそれを被っているだけだ
高次思考センター高次感情センターたる気づきは最初から在り働いているのだ
光は最初から輝いている、それに気づいていないのだ)
意図的に
そして
意識的に気づいていなさい。
気づきの領域を拡げ、
そして深めなさい。
あなたは常にマインドを意識している。
だが
あなた自身が意識していることに気づいていないのだ。
(※自分の意識を全体的に気がつく為には「気づき」が現れる必要がある)
マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、思いを絶え間なく生み出している。
(マインドは外部から脳の条件付けられた濾過器を通過して、やってくる)
マインドの中で何が起こっているかを知っているとき、
あなたはそれを意識と呼ぶ。
あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てしない連続の中で移行している。
これが通常の意識状態だ。
そしてマインドの全体性、意識全体への直接的洞察である「気づき」が現れる
(※気づきが現れたとき意識の全体性が照見される)
マインドは川床の中を絶えず流れている。
あなたはあなた自身を一瞬或る特定の波と同化し、それを「私の思い」と呼ぶのだ。
あなたが意識する全てはあなたのマインドであり
気づきとは意識の全体性の認識だ”
“誰もが意識していると言ってはならない。
(※意識は個人のものではないという意味)
意識がそこにあると言いなさい
その中で全ては現れて消えていく
私達のマインドは意識の大海の波に過ぎない
波としてのそれは来ては去っていく、海としてのそれは無限で永遠だ
あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい
勿論これは隠喩だ、実在は描写を超えている”
以上ニサルガダッタ・マハラジからでした
ここでは
マインド
意識
気づきが
解説されている
ところで
ここで「気づき」が現れる必要に、重要性にふれられている
即ち
覚醒が起こる必要がある
真我の覚醒である
がしかし
この覚醒は起こる
起こすのではない
与えたり、売買したり、渡されることはない
全ては
真我自身の完全な計画どおりに
完璧な条件で
完璧なときに
起こる
私達はなにもすることはない
私達がなにかしていると思うこと自身が、個としての存在を前提にしている
私達は何もしていない
行為は私達には出来ない
覚醒していないのだから
だから
真我という全体が
起きるべき時に
起きる様になっていて
それは
必ず
起こる
気づきは起こる
いや
既に起きている
気づきしかない
その気づいていることに
気がつかないのだ