虚偽を虚偽と見る、虚偽の中に真理を見る、真理を真理と見る
有名な
クリシュナムルティーの言葉です
光を求める必要はない
何故なら最初からそこにあるのだから
だから
光を求めている、その「自分」を見なさい
虚偽を見なさい
とクリシュナムルティーはいいます
観念や、想像や、マインドで光を作り出すのではなく
この自分が、この二元性で、分離性で
同じ分離性が正体であるところの真理?や神?、や光?に
捕らわれてしまうのではなく
自分という
虚偽を見なさいと言います
その
虚偽が晴れたとき
最初から既に
そこに
そのものはあるといいます
真理は最初からそこに厳然としてあると言います
ですので
その「未知なるもの」を
このマインドで掴もうとせず
その掴もうとする
その至ろうとする
このマインドを見なさいと言うのです
このマインドが作り出した
私を見なさいと言います
この私にとって
未知なるものである「非分離性」「全体性」は
最後まで未知なるものである言います
ですから
この私が認識し体験できるものは「未知なるもの」ではないといいます
既知である
認識可能なもの
この私を
この私の正体を見ることによって
キリが晴れていくと言います
私は消えていくと言います
既知であり、認識と体験の主体である
この私の、想念と思考と感情が
ハッキリと見ることが出来たとき
私が虚偽であったこと
私がいなかったこと
私はマインドが作り出していたこと
そのとき
招きもしないのに
そこに
真理が
そっと
「ある」
とクリシュナムルティー
はいいます