彷徨える霊魂




私は彷徨える個別的霊魂である

私達は目覚めていない彷徨える個別的霊魂である

私もあなたも彷徨える霊魂であり肉体や諸体ではない

私もあなたも肉体や諸体を自分だと思い込んでいる霊魂である


弘法大師によって「生の始めに暗く、生の終わりに暗きして幾多の人生でも決して

目覚めることがない」と指摘されているその眠り続けている霊魂こそ、この私である


私達である彷徨える個別的霊魂は、死後霊界を経て大元の非分離の霊魂へと戻るのであり

私達が自分自身だと間違ってしまっているサイコノエティック体は中有界に留まることであろう


私達は肉体ではなく個別的霊魂である

私達はサイコノエティック体ではなくて個別的霊魂である

私達は現在のパーソナリティーではなくて霊魂である

私達は眠っている個別的霊魂である



それ故に、多くの賢者達によって目覚めなさい!!、思考なく見なさい!!在りなさい!!

と言われ続けている

賢者達が話しかけておられるのは肉体やサイコノエティック体や現在のパーソナリティーではなく

この眠りこけている私達である個別的霊魂にたいしてなのである


自分自身の内奥は時空間を超え、自他を超えている実在であるのに

私達は私という観念に深く汚染され、三重のサイコノエティック体と肉体に覆われているために

自分は肉体であり、自分はサイコノエティック体であり、自分が行為していると思っているのだと

そしてそれらの諸身体を自分だと錯覚し

自分は思考であり、感情であり、記憶であり、恐怖であると実感している


しかし、その恐怖を実感しているのは、その私達である個別的霊魂

を覆っている私という観念であるもの即ち恐怖ではないか

恐怖が自分自身を対象化して恐怖を実感し、恐怖しているのである

この恐怖しているのは現在意識であり、この現在意識は恐怖である

そして現在意識を観照しているのが目覚めている個別的霊魂であることだろう

観照が顕現していない限りは、現在意識は恐怖であることだろう



私達である彷徨える個別的霊魂は自身の内奥に目覚めることがないまま肉体に入ったことにより

肉体や、思考体、感情体、記憶体、私という観念に深く一体化してしまったのであろう

私達は目覚めていないのである、自身の内奥に気がついていない


私達は彷徨える個別的霊魂であり、「私という観念」である思考体や感情体や記憶体を伴って

新たなる肉体に入ることによって、起こっている思考や感情や欲望に深く一体化しているのである


私達、個別的霊魂は決して肉体ではなく、思考体でもなく、感情体でもなく記憶体でもなく

私という観念ではない、けれども私達は肉体や自我や感情や思考と一体化している

私は目覚めていないからなのである

私達の現在意識は私という観念によって占有され続けている

それゆえまた

私達は目覚めていないまま肉体を離れることであろう

そして死後の世界からこの物質界への再誕時には

サイコノエティック体{感情体・思考体・記憶体)である、霊界に留まっていたその私ともども

彷徨える個別的霊魂は新たなる肉体に受肉する為にその肉体に入っていくことであろう



私達は非分離で全体性の内奥に気がつくことなく眠ったまま

私という観念に深く汚染されたまま

サイコノエティック体である思考や感情を自分だと実感し、

この諸体の知覚や感覚を自分の知覚や感覚だと思い込み、

肉体を私だと思い込み、行為を自分が為していると実感している