結ばれているので、脳が心だと思われてしまっているのだと思います。
心は確かに脳と結びついておりますけど、脳が即、心なのではないと
思われます。心がわたし(意識)であり、脳がわたし(意識)なので
はありません。
確かに脳が操作されれば心は影響されます・・だがそれは心が脳と
結ばれてしまっているからではないかと思います。
脳は心と結ばれているように、心も魂と結ばれているのですが
私達は、その心と魂を結んでいるパイプが詰まっているので(諸
体が未形成なので)心は魂を意識出来ていないのであるといわれ
ています。私達は脳と結ばれている心を纏っている魂なのです。
思考や感情や記憶などは心であり、脳がそれらの心そのものでは
ないと思います。欲望や不安葛藤は肉体の脳なのではなくて心の
もの、心の状態なのでありましょう。性同一性障害も肉体や脳に
原因があるのではなくて、心である諸体に原因があると言われ
ております。
脳は心や魂と結びついていて脳が知覚している情報を心(意識)や
魂に伝える媒体(装置)であるということでありましょう。
それは丁度パソコンがいくらデータを受信しても又インターネット
に接続していても電源が入っていなければ、そもそもパソコンは動
かないし、パソコンがいくら高性能であってもパソコンを操作する
人がいなければ、脳というパソコンは動かないのと同じです。
脳は素晴らしいパソコンであるけれども、それを受信し認識し動かす
心である私達がいなければ、脳はそもそも動かないのであります。
脳が薬物や遠隔や、記憶投射や思考移入などによって自分が体験し
自分が思っていると錯覚することがあっても、それを知覚認識してる
心がなければ、そもそものその記憶移入等が成り立たないわけです。
私達は脳と結合した魂からの現在のパーソナリティー(意識)なの
でありましょう。
そしてこのように私達魂からの現在のパーソナリティーが脳と結合し
記憶に覆われ、記憶投射や思考移入されていても私達は魂・神の子な
のであるのでありましょう。
※ここで言う心とは脳下垂体のある鏡・表面意識の私の事で
本来は神の子であるのに私達を覆い包んでいる記憶・思考と
同一化しています。