ニサルガダッタ・マハラジは言う
外の世界は内部が映し出されたもので
自分の内面世界は外からやってきたものだと
これが真実であると
私達の肉体
私達の家庭
私達の人間関係
私達の職場関係
私達のご近所関係
私達の環境
私達の出来事、地域社会、そして町、は私達の内側にある
内側の投影であるという
この世界は内側にあるという
この地球に起きている全てのこと
この地球に住む人々
この地球の飢餓、紛争、暴力、陰謀等々は私達の中にある
私達の内側に、中にあるという
そして
私達の内側にあると思われている
自我の実質
マインドの中身は
外側からのものだという
マインド・心の中身は
想念・思考・感情・欲望等々は
それらの想念は
外からやってくる。
暴力も
恐怖も
いらいらも
自分の中で語りかけてくる、色んなマインドも
不安も
感情も
欲望も
期待も
苦しみも
嫉妬も
自分という自己意識も、
常に自分を悩ます自己関心も
常に他人と比較するこのエゴも
自と他を分離するマインドも
そしてその中核である
私も
私自身も
それらは
全て
外からやってきて
内側にあるものだと、
間違って思いこんでいるという
内側にあるものは全て、外側にあるものだという
そして外側にあるものは内側のものだという
内界にあるものは外界からやってきたという
逆に
外界にあるものは内界の投影だという
そして
その内側にあると思われているもの
マインドの中身を
自分を
見よ、という
自分は「私」は外からやってきた
という
マインドは、私は
外部のものだという
「私」は外部からやってくるマインドの創作物なのだという
逆に
外部のものは
認識されているものは、
この世界は全て内側の中にあるという
このように、こう見えないのは
幻想に捕らわれているのだという
このように見えないのは
錯覚であり、幻想だという
ところで
どこまで
今の我々には
その外部から来るマインドと、そのマインドである私を
ハッキリと
見ているのだろうか
くっきりと見ているのだろうか
突然訪れてくる
その恐怖を、不安を、暴力を、攻撃性を、そして自我を
その突然、外部から訪れてくる
マインドを
そして外部からやってきた
自分の中に潜んでいるように、錯覚している、そのマインドを
「私」がやってくる瞬間に
どのくらいハッキリと、明瞭に
見ているだろうか
そうだ
その、私が外からやってくる瞬間に、気がつくようにしよう
そうだ
そのエゴである、自己関心や、自分という感覚が外からやってくる、その瞬間を捉えるようにしよう
そうだ
そのマインドの中身である、思いやりのなさ、無関心、自と他を分ける思考、自他の分離感がやってくるときに気がつこう
そうだ
そのマインドの、心の中身である、イライラや不安、焦燥、暴力、攻撃性が外部からやってくるとき、その瞬間に、その外部から来る、その様をハッキリと、気がつくようにしよう
そうだ
その私の中身である、恐怖と欲望が外部から、自分自身のよう思われて、やってくるとき、その瞬間に気がつくようにしよう
そうだ
私がマインドだ、そのマインドは、私は外部から内部にやってくるのか、さも内部にあるかのように
その瞬間にこそ
気がつこう