真我(月)と鏡(魂・真我の第一想念)との予想関連図 魂という鏡が静寂で、思考に覆われていないとき、 鏡は月を映し出す事が出来る その時 あるがままをあるがままに見る事が出来るのではないだろうか これはあくまで私の個人的想像ですが 以下の概念を区別して思考しています 神道の鏡と月の比喩は素晴らしいので、此処でそれを使わしていただきます @真我(月):「在る」 A観照者(本源の魂・気づき・真の私):「在る私」、真の意識の座、スクリーン、個人でも人格でもない、無思考、非対象 神の目(第三の目)とも言われる あるがままをあるがままに見る事の出来る「目」である 空とも言われており素粒子が出現する基底でもある。 アートマンとも言われている。 意識の座ともいわれている B魂(鏡・真我の第一想念・高等思考):「在る私にも、なる私にも可変できる私」、脳の松果体に繋がっている 真我からの現象界の接点で、自分を肉体と思ってしまった想念 内なる真我に向くことも、外なる投影されている世界に向くことも出来る目である 最後は父なる神の元に融合する(消滅)と言われている 空間に出現した素粒子である、マインドでもある 自己想起である真我への留意・注視←(真の主体を見ること)、と私ではないものの 受動的注意→(マインド・偽の主体)を同時にするこのワークを行っているのがこの 魂である C自我(輪廻するサイコノエティック体・第一想念からの記憶):「なろうとする私」、Bの起こした記憶の塊、思考、マインド、 心でもある。人格であり個人でありこの通常の知覚の私(偽の私) 転生を続ける私、現象我、現在意識だが過去は封印されている 記憶体、日中意識と夢の意識と熟睡意識、視床下部に繋がっている カルマはこの記憶体に憑く やってくるD、Eに対して条件付けられた反応を起こして、逃避したり 良くなろうとして矛盾、葛藤を起こす 通常の意識であり、私でないのに私を詐称して行為していると錯覚し ている記憶体 プログラムされておりコンピュータの基盤のように思考や出来事や 運命が書き込まれている(たまゆらの表面にある頭脳のようなもの がそうであるか) BがAと結合したときこのCは存在していないことが正見される D肉体や身体・行為:感覚や知覚であり、この知覚、感覚は脳下垂体から視床下部に伝達される 完全に条件付けられており、プログラムされている 起きていること、起こっていること、やってきていること。 この三体が整合しないと上位の意識や気づきは肉体脳に届かない、頭脳は完全に条件付けられている 肉体は肉体として独自の意識と知覚を持っている E条件付けに従って外部からやってくる思考・欲望:根源からのプログラムに従って頭脳にやってくる思考や感情や欲望や衝動 STAGE1の状態では、このやってくる思考などをCの自我(エゴ)は自分が 思考し欲望していると錯覚して、記憶に従って反応してしまう |