私達は何のために生きているのか?
何のために私は生かされているのか?
それは・・・
「私は愛である」ことを知るためである。
では「私は愛である」を知るとはどういうことか?
それは・・自我の源泉に至ると言うことだろう。
「虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真理を見、真理を真理
と観ること」であろう。
即ち、私・自我の根源、恐怖の源泉に至ったとき
であり、それは自我・私が神の演技であることが
照見されるときであり、
「見るものは見られるものである」
「私はあなたであり、私が世界である」
一切全て万物の中に神を見、神は愛であることが
知覚されるということだろう。
それは私の中に神を発見することだろう。
「神が私である」ことを発見することだろう。
この「私は愛であること」を知ることが、私が生か
されている目的にほかならない!
そしてその為には
「あるがままの私を、あるがままに愛する」ことが
一つの方法でもあることだろうか。