霊能者が見る前世は、何故生まれてくる「直前」での霊界での記憶がないのだろうか
それは
その霊能者が覚醒しておらず
その霊能者に取り憑いた「ワサナという人格」が物質界での前世のことを話しているからだ
ということは
私達の、今の物質界の脳を通じて作り出された、この人格は
死後、
霊界に移行し、滞在し
そして、再び転生するときは、本体(観照者)から離れて
ワサナとなり
花びらのように、休眠状態に陥り
冥界又は、中有界に留まり、
次回の転生の時まで、その「私というワサナ」を作り出した本体(観照者)が又物質界にくるまで
待っていることになる
そして、その本体(観照者)に
引き寄せられ、多くの過去世のワサナと一緒に「私」を形成するのだ
そのワサナが
過去世の私として話しているに過ぎない
この状態は即ち、
再び
転生してきた、その本体(観照者)は
物質界で覚醒した、わけではないので
生涯を終えて、移行し
死後の幽界や霊界のそこでも、覚醒することなく
この物質界の時と同じように
いや、もっと深く
死後の霊界でも夢の、
夢の中の状態での生活を続けているのだ。
それは、今の物質界より、もっと構造上、より想念が直接に具現化する想念界であり
今の物質より、もっと思考が具現化しやすい、アストラル的な物質で構成されているからである。
幽界や霊界は、言い方を変えれば
想念や思考が即、物質化(具現化)する階層といえる。
であるから
その人格が作り出した、想念により支配されやすく
且つ、同波長の者同士が、同じように集まる、牢獄である。
その幽界や霊界は、物質界に比べて
「自己変革する際に必要な素材」
肉体から抽出される、素材、自己変革の基盤となる、変換する物質(素材物質)がないので
自分のレベルを上げることが難しく
より完全な、想念の状態、夢の状態に陥り
そこで過ごすのだと思う
幽界や霊界でも目覚めていることが出来るためには
まず、この物質界でも、夢を見ている、そのとき
自分は夢を見ているとの「自覚の意識状態」
即ち観照者の意識状態であることが必要だ
そういうことであると推測されるので
霊能者の前世談は、途中が抜けている
即ち霊界での生活から、今生に転生する、「その間」が抜けている 。
私達のレベルでは
霊界でも眠ったままの「夢の世界」の延長なのだとおもう
そこでは
霊界のオリジナリティーが無く、物質界の写しの状態
物質界の延長、物質界のイメージがそのまま続く、夢見の状態なのだ
だから、私達には
霊界から今生の物質界へ戻る直前の記憶がない
というのも
目覚めていないので
観照者の意識がないからだ
転生してくるのは、その前世で作り出されてた人格ではない、
転生してくるのは、その前世もずっと、その人格を支えてきた、本体である「観照者」である
観照者こそ輪廻転生し続けている、主体である
精神世界では、多くの言葉の混同が見られている
語彙は慎重にしなくてはいけない
人格やワサナのことを魂と言ったり、観照者を魂と言ったり、又はその観照者の乗り物の肉体以外の身体(コーシャ)を
魂と言ったりしている、又は神我のことを魂とも言ったりしている
おおざっぱに分けて、次のように考えられるが、どうだろうか
@神我、又は真我(非分離性・非二元性・全体性)
A観照者(魂・自分が生まれてきた元である神我に戻る運命にある)
B五つのコーシャ(観照者が相対界で使用する乗り物・肉体・サイコノエテック体など、及び観照者がワークの
結果作り出した、真性サイキック体ノエティック体・黄金の霊体など)
C人格・私・ワサナ(観照者が肉体と同一化して作り出した、頭脳の産物で、思考と想念の集合体)
上記のものを指して、それぞれを皆、「私」というが中身は全く違うのである
言葉は多くのこと、相反する状態のことを、混同して私と呼ぶことすらあるので
注意したい
だから、霊界からこの物質界に戻るときの
記憶があるためには
その記憶の持ち主である観照者のレベルに「この意識レベル状態・からだ」が成長する必要がある
霊界でのハッキリした意識の覚醒した状態のレベルになるためには、
この物質界で、こそ、まず目覚めて
霊界でも通用する、黄金の霊体、又は光のボディーが作られていなくてはならない
その身体は、この肉体をベースによって、ワークによって作られるのだ
意識的な努力、意識的な超努力、「見ることのワーク・気づきのワーク」が必要だ
そのワークだけが
この霊界でも通用する
ボディーを作ることが出来る
だからこそ、
それにもかかわらず
これが形成されていない霊能者の話す前世とは
彼が、そのレベルに到達し
その状態の黄金のからだ、光のボディーが作られたのではなく
単に、彼が霊媒体質という
エネルギーが漏れやすい体質であり
そこに取り憑いているワサナが
そのワサナが自分と称して、前世を語っているのに過ぎない
ワサナとは
何か
私達のこの物質界で、その観照者が肉体の脳で経験した記憶の固まりだと思う
その中身は
条件付けられた脳が経験した思考、感情、衝動そして、その全てである記憶であると思う
ワサナとは煎じ詰めれば、物質界での脳が作り出した記憶の固まりだと思う
単なる、条件付けられた肉体頭脳での記憶が集合し、意識を持ったのだ
それは観照者ではない
それはワサナである
そのワサナが取り憑いて、霊能者が話しているのだ
ワサナには知性も愛もない、何故なら生命ではないからだ
いのちの、ないもの
単なる思考や想念・感情の集合が作った意識、それがワサナであり
肉体の頭脳を経由して作られたのだ
それは分離と二元性だけで作られている
私達は
目覚める必要がある
「分離は幻想である」と、自らの口から言えるために
目覚めるためには
眠っていることに気がつこう
私達は眠っている。
私達は見ていない。
眠ったまま生まれ
そして眠ったまま
肉体の頭脳をとおして「私」という感覚を生みだし、この分離した意識存在「エゴ」を作り出した
この現在の状態のレベルの意識は眠っているのだ
私は眠っている
眠りが続いたまま
そして
人生を終える。
そして
霊界にも眠ったまま移行する、そこは、完全な夢の世界だ
夢の中で、過ごし
そして又
目覚めるためにこの物質界に戻ってくる。
観照者として目覚めることなく
まして神我として目覚めることなく。
そして母親の体内に宿り、全てを忘却してくる
そしてまた、新たに
物質界での意識が形成されていく、頭脳によって
この頭脳の条件付けにより、目覚めることなく、
深く条件付けられて
そして、完全にコントロールされる
二元性と分離性に、
そしてそれが生み出した自我に、「私」に
私の現在のこの意識は
この条件付けられた物質の脳をとおして生み出したもので
真の意識ではない
またそれは
いのちではない
愛ではない
叡智ではない
ワンネスではない
また、
この意識は脳や肉体で、すらない
逆に
この脳や肉体や物質は、ご存じのように、最高の叡智であるいのちが作り出したのだ
それに比べて
観照者が脳の条件づけに縛られ、その結果、肉体と同一化して作り出した、この世界
この文明は、
いかに着飾り美しく見えようとも、その中身は分離性と二元性の相克と葛藤から出来ている
この文明は夢の中で、目覚めない意識が作り出した恐怖と暴力を根源にした二元性を根幹にしているのだ
夢が覚めたら、この文明は、
従って崩壊するだろう、この文明は夢が作り出したものだ
二元性と分離と、そしてそれが生み出した恐怖と不安、暴力が根幹であるエゴの相克の文明なのだ
いかにセンス良く、洗練されて着飾っていてはしても、中身は死んでいる
生命がない、いのちがない、叡智がない、愛がない
それが
いまのこの眠った意識が作り出した文明の中身なのだ
「私」はこの物質脳が作り出した分離の意識である
「私」はこの条件付けられた脳が生み出した、恐怖と暴力と思いやりのない自我の意識である
「私」は虚構である
「私」はいのちがない
「私」は条件付けられた、脳を通じて作り出された意識にすぎない
それは意識ではない
それは目覚めていない
それは生きていない
それは叡智ではない
それは愛ではない
「私」から
離れよう
離れよう
去るのだ
目覚めるのだ
神我に