「あなたは未だに目と耳に縛られており、目に因らなければ何も見えず
耳に因らなければ何も聞こえない」・・ミルダッド
・・・以下は私の得た情報に基ずくもので、私の体験ではありません・・・
私達は肉体の死後、あの世に於いても意識的に目覚めてこの物質界と同じように
知覚でき、同じようにあの世ではあの世のことを知覚認識して生活していると思って
いますが果たしてそうなのでしょうか?
私達はあの世でもこの世と同じように知覚できるのだとおもいこんでいますが、この
肉体の感覚器官は火葬場で焼かれてもう存在していないのです。肉眼などの五感は
機能できないのです。
ですから、どのようにしてあの世を知覚することが出来るのでしょうか?
私達は単純にあの世でもこの世と同じように、この五感という感覚器官が働いて
あの世を見ることができるのだと思い込んでいますが、果たしてそうなのでしょ
うか?
あの世を見るためには、あの世と同じような波動を持つ超感覚器官が必要なのでは
ないでしょうか?肉眼ではあの世を見れないからです。
肉体を離れてあの世での私達には、あの世を知覚する為のあの世の知覚器官が必要で
すが、その知覚器官を持っているのでしょうか?・・実は不完全ながらこの感覚器官と
同時にあの世で使用する超感覚器官も使用していると言われております・・・というの
も私達が使用しているのは肉体・脳だけではなくて幽体や霊体即ちサイコノエティッ
ク体も同時に使用しているからだということです。
では私達はあの世で使用する感覚器官・・所謂超五感覚器官を持っているのでしょう
か?
それとも肉体の死後、あの世では幽体や霊体は自動的に機能するのでしょうか?
あの世を知覚する事が出来る超感覚器官、そのような幽界や霊界での超感覚器官
を持っているのでしょうか?勿論、幽界や霊界とはこの世と同じような時空間では
ありませんので、この物質界で使用している感覚器官では死後の世界を知覚すること
が出来ません。
「サイコノエティック体即ち幽体や霊体の目が開いていない状態で幽界や霊界に行っ
た場合、幽界や霊界を見る目がない訳なので、私達は潜在意識の記憶ゾーンでの
体験を幽界や霊界での現状と間違えたり、中有界という物質界と幽界の中間次元の
ことを幽界と間違えたりしていることが多いのです」といわれています。
ミルダッドが言うように「目に因らなければ何も見えず、耳に因らなければ何も聞こ
えない」様なサイコノエティック体が未熟な状態であれば、肉体の死後は、目や耳は
既に失っているのですからあの世でのあの世を知覚するその知覚器官が充分に機能し
なければあの世を知覚することが出来ません。・・・それは更に高次の魂の次元界の
ことも同じです。
「真の五感は感覚器官を使用しません。サイコノエティック体が持っている真の五感を
使用するためには全ての原子、細胞そして肉体さえもが活性化され真の五感を持つ
ことが出来る様になる必要があります・・」
・・エレブナが言うように私達は、あの世での身体=サイコノエティック体が未だに未形
成であり再形成されておらず、その精妙な身体が未だに形成されていないので、その
サイコノエティック体の持つ真の感覚器官が形成されていなければ、私達はあの世で
は「めくら」の状態に近いのであると言うことになります。更に高次の非分離の次元の事
はこのサイコノエティック体が再形成されなければ推測の域を出ることができません。
同じくエレブナでは、私達は幽界や霊界での身体、サイコノエティック体が未発達で
充分に超感覚器官が形成されていないので、私達は肉体の死後、あの世ではこの世と
同じように「めくら」状態で「潜在意識の記憶の中」で生きていると言うことであり
ます。
そういうことなので従って、私達は肉体の死後はサイコノエティック体の感覚器官が
なく自分の潜在意識の中の記憶領域の中でのみ、生き続けると言われております。
死後のあの世で使用する身体、サイコノエティック体が充分に形成されていない状態
では、この物質界に生きていたときですらこの物質界の五感という感覚器官を充分に
機能させずに記憶の中で生きてきたように、その状態で肉体の死後に移行する幽界に
於いても私達はサイコノエティック体の目が覚めておらず、幽体の目が「めくら」の
状態のまま、幽界では盲目とおなじでように自分の潜在意識の記憶の中での、自分が
創造した「幸福状態の天国」を生き続けることになります。
この世でサイコノエティック体の目が開いていないので私達はあの世を知らないよう
に、私達は死んだ後もあの世の中では眠った様な状態で「夢のなか」を「真の自分自
身」を知ることなく生き続けることになります。
この物質界においても私達は自分が見ていると思っていますが、自分が見ているので
はなくて記憶が脳と一体化しているので脳が見ている世界を見ているのです。
記憶が脳が生み出している情報情景を見ているに過ぎません。記憶が記憶を投影して
他者を非難しているのです。他者とは自分自身の姿であることを記憶は理解しません。
実際に見ているのは現在のパーソナリティーではありません。現在のパーソナリティ
ーはいまだ殆ど眠っており、実際に見て、感じて、思考しているのは記憶が自分の脳
の中身を見て記憶が反応しているのです。その反応が思考であり、感情なのです。
それは現在のパーソナリティーの身体であるサイコノエティック体の目が開いていな
いからです。
現在の私達の状況と言えばサイコノエティック体の目が開いていないのはおろか内奥
で輝く魂の目とも繋がりが自覚されておりません。魂の一部である潜在意識が記憶で
覆われているために、魂の目との繋がりが開いていないのです。
従って魂の目が語りかける言葉も、眠ってしまっている私達には何のことかさっぱり
分からないのです。
私達がこの物質界で見ているとは、正確に言えば眼球という感覚器官であり、その感覚
器官の情報が網膜へと届き、網膜の情報が脳へと伝わり、そしてさらにその視覚情報を
脳が他の聴覚などの感覚と一緒にして情報を統覚し、とりまとめています。
しかしながらこれだけでは認識は起こりません。認識は魂と繋がる表面意識を必要と
しているからです。
そしてその知覚情報が脳と一体化しているサイコノエティック体の現在のパーソナリ
ティーに届いて認識が発生して私達は「自分が見ている」と思い込んでいます。実際
には脳があるので脳が機能しているのです。
脳があるが故に視覚が機能し「視覚・見る」という統覚が成立しているのです。
しかし統覚が成立するのは魂と繋がる表面意識があるからです。
そう言うわけでその知覚情報が統覚されて「見ていると認識」しているのは、脳では
なくて脳と結合している認識主体である記憶に覆われている現在のパーソナリティー
です。
そもそもが、この現在のパーソナリティーという認識主体が存在していなければ脳が
機能しても視覚という知覚は認識はされません。
もっと正確に言えば現在のパーソナリティー、サイコノエティック体が機能している
のはコーザル体があるからであり、コーザル体が機能しているのは永遠のパーソナリ
ティーという魂があるからであり、魂は根源である神と繋がっています。神の中に全
てはあります。
さて話は元に戻りますが、日常生活では昼間はその認識主体は脳と結合しており、脳
からの知覚情報を認識していますが、熟睡時に於いては、脳のある部分が休息をとり
ます。
従って一部の意識の機能を脳に残して現在のパーソナリティーは脳を離れます。
というのは現在のパーソナリティーの抱えたストレスや多くのマイナスの感情や思考で
傷めてしまった脳を休めるため、そしてまた肉体の健康のため肉体と脳を休ませるため
に熟睡が必要です。そしてそのために
現在のパーソナリティー・サイコノエティック体は肉体・脳から一時的に離れます。
すなわち、その認識主体である現在のパーソナリティー・サイコノエティック体は
肉体の維持のために肉体からシルバーコードを介して一時的に離れます。
そして肉体は現在のパーソナリティーが肉体から一時離れることによって「英気・精気」
が補充されます。思考という記憶が、その思考と感情が脳と肉体を疲れさすので回復
されるのです。
その間、肉体を離れた現在のパーソナリティー・サイコノエティック体は潜在意識の記
憶の中を徘徊、若しくは眠ったままアストラル界を徘徊し、夢を見ますが、脳に再び戻
った時には、残念ながらそのアストラル界での体験や情報は肉体脳とサイコノエティッ
ク体を繋いでいるエーテル複体が充分に機能していないので、現在のパーソナリティー
が体験したそのサイコノエティック体の情報が充分に肉体の脳に伝達されません。部分
的あるいは変形され、若しくは全く夢を見ていないとして脳に伝わります。
というのも体外に離れても現在意識の殆どの部分が脳に浸透しているからです。
現在のパーソナリティーが身体に戻り、脳と繋がったときに脳に浸透していた意識部分
には部分的にしかそのアストラル界での体験が伝わりません。
エーテル複体が充分に発達していないからです。
覚醒時には脳に意識の殆どが常駐していますが、熟睡時は意識の一部が肉体から離れて
いますが脳に戻ったときにその睡眠中の情報が脳に充分に伝わらずにいます。それはサ
イコノエティック体と脳・肉体を繋ぐエーテル複体が不完全状態だからです。
そう言うわけで脳と繋がっている現在のパーソナリティーは私は何も覚えていないと
言うのです。
サイコノエティック体が未発達な私達・現在のパーソナリティーは眠った様な状態で
脳と結合しているので脳の状態がそのまま自分の状態だと錯覚してしまうのです。
脳と一体化している私達、現在のパーソナリティーは肉体の脳の条件付けが機能して
いるので、脳の状態がそのまま自分の状態になってしまっています。脳の老化が
そのままサイコノエティック体である現在のパーソナリティーだと誤ってしまうのです
。
そう言うわけで、私達、現在のパーソナリティーの幽界での情報は肉体の戻っても間
違ったように知覚されてしまうのです。
その典型が「夢」といえるでしょう。
私達は生涯目覚めることなく死を迎えますが、死とは太陽神経叢付近にあるシルバー
コードが切断されたことをさします。それが肉体の死亡となり私達は肉体から離れて
幽界の手前の冥界で目を覚まします。
肉体の死亡とはこの太陽神経叢のシルバーコードが切断されることに因って起こるわけ
です。このときは現在のパーソナリティー・サイコノエティック体は脳・肉体に戻る
ことが出来なくなります。
このときは脳に駐留していた現在のパーソナリティー・サイコノエティック体などの意
識の機能は大生命や、霊魂と共に肉体から離れます。
そして私達は眠ったままあの世で過ごし、また眠ったままこの物質界に戻って来てしま
うのです。
ミルダッドは言います
「あなたの私とはあなたの存在の意識である
音声を持たず肉体を持たない意識が私によって
音声を持ち肉体を持つようになる。
私とはあなたの内にある聞こえるようになった聞こえざるものであり
見える様になった見えざるものである」
・・・非常に難解なことばですが・・私は以下の様に解釈しています。
これは私達である三つ組みの魂と、その魂を構成する潜在意識にある記憶、即ち
「私という観念」及び「私という観念」が生み出している思考との関係の理解
を前提にしていると思うのです。
「あなた(魂)の私(潜在意識及び潜在意識にある私という観念)とはあな
たの存在の意識である
音声を持たず肉体を持たない意識(魂)が私(潜在意識及び潜在意識にあ
る私という観念)によって
音声を持ち肉体を持つようになる。
私(潜在意識及び潜在意識にある私という観念)とはあなた(魂)の内にある
聞こえるようになった聞こえざるものであり
見える様になった見えざるものである」
というように私は解釈しております。