五つのコーシャ(鞘)のそれぞれの意識





今日は真の私である「神の子」を包んでいるという5重の鞘というもの
について思いを馳せてみたい。


私達は内奥に神の子としての私と、それを包む多くの界層にわたるそ
れぞれの各層毎の身体として「鞘としての私」があるといわれており、
それぞれの鞘(コーシャ)として複層している自己意識で構成されて
いるといわれている。

この「物質界を見ている目」と「精妙世界を見ている目」と、更に「次元を超えている
目」が重層して存在していると言うことなのであろう、が、残念ながら現時点では
私達は未発達なので物質界を見ているこの肉眼しか働いていない。


このそれぞれのコーシャ(鞘)の意識を私の独断と偏見で大まかに分けてみたい。


①アンナマヤコーシャ(肉体)

   人類の誰にもお馴染みのこの神の宮である肉体とその意識。
   しかしながら通常、私達が思っている肉体の意識とは肉体自身の意識ではなくて
   肉体と同一化している現在のパーソナリティーの意識であることに注意したい。
   この肉体は味覚や嗅覚や触覚や聴覚や視覚を成立させ、脳を通じて思考や感情
   や想念を自我体(現在のパーソナリティー)に伝え、思考体感情体や自我体と共に
   神の子を覆う鞘の一部として自律的、自動的に肉体の維持に必要な欲望、感情
   行為を起こしているのであろうか



②プラーナマヤコーシャ(エネルギー体・エーテル複体)

    それぞれの五感の知覚を知覚本体である自我体(ヴィジュニャーナマヤ・コ
    ーシャ)に伝え、内なる本源からのエネルギーを受取り肉体に分配している。
    意識的にはどのような意識なのか不明であるが、むしろ活力とか、気力、健康
    病気などに関わっているのではないかと思われる。



③マノマーヤコーシャ(思考体・感情体といわれ脳が受けとっている思考感情である)

    思考の記憶から成り立っており、脳を媒体にして受けとった思考や感情や欲望
    の記憶体であろうか、この思考や感情や欲望は知覚主体であり認識主体である
    自我体(ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ)にて認識され、自我体である現在のパ
    ーソナリティーは思考や感情とは自分が思考し思っていると錯覚してしまってい
    る。この思考の中身とは言語であり、言葉であり、それは質料でもあり送ったり
    投射することも可能であろう。人類の覚醒時の意識は殆どがこの意識であると
    思われる。この思考や感情や欲望の記憶である身体は人格とも言われていて
    潜在意識として地球を取り巻く想念帯を形成していると言われている。



④ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ(自我体・現在のパーソナリティー)

    心から成り立っており、肉体や思考体から受けとった思考、感情、欲望を自分自身
    だと信じており、それらと同一化して反応している心でもある。
    現在の段階の地球人類の段階では殆どが眠った状態であり、その状態のまま輪廻
    転生しており、この現在のパーソナリティーの身体であるサイコノエティック体が再形
    成されないまま、起こっている思考や出来事に巻き込まれ深く迷妄という無知に包
    まれ受信した思考や感情や五感や欲望や記憶と完全に同一化して喜怒哀楽を繰り
    返している。この鞘(身体)の意識は夢見時の意識状態でもあり、このヴィジュニャー
    ナマヤ・コーシャが未発達なので私達は「思考なく見ること」が起こらないと言えようか。
    このヴィジュニャーナマヤ・コーシャが⑤と繋がりその意識が顕在化するにつれてこの
    身体は成長変身し拡大し地球を覆うほどになるという。 



⑤アーナンダマヤコーシャ(コーザル体・原因体・歓喜体)

    各転生を通じて変わらない永遠のパーソナリティーと繋がっている、各転生の記録庫
    でもあり、神の子の私と繋がる私でもある。しかしながらこのアーナンダマヤコーシャの
    意識は自我体が未形成のために(シルバーコードを介して)繋がってはいるけれどそれは
    塞がれていて詰まっておりこのアーナンダマヤコーシャの意識は自我体には意識されな
    い。このアーナンダマヤコーシャの意識は未発達な現在のパーソナリティーである私達
    にとっては無意識でありこのアーナンダマヤコーシャの意識とは熟睡中の意識と言われ
    ている。
    現在のパーソナリティーが脳で受信している思考や感情と同一化して眠っている以上は
    全く顕在化されないという。この時空を超えた意識は人類の脳では全く理解出来ない
    ことだろう。



◎永遠のパーソナリティー

    この意識は神の子の意識であり無知と触れあっていても、汚染されていない純粋の意識
    であり、今の段階のヴィジュニャーナマヤ・コーシャ(現在のパーソナリティー)の現在意識
    によっては全く未知なる意識であると言える。
    本来の目、本来の意識、本来の高次センター、チャクラを有する高次の身体、高次のエ
    ティック体とも言われているのだろうか。
    熟睡を観照している第4の意識とも言われている。Kが言う私なく見ている「目」である。
    賢者達の現在のパーソナリティーはこの意識と繋がりここから私達にとっては全く理解さ
    れないことを私達人類の思考や言葉や心を使って話されているわけである。
    この永遠のパーソナリティーの意識は「思考なく→心なく→私なく」見ている目であり
    「私のない目」であり、慈悲として観照している観音の目、若しくは大天使の目でもあろうか?
    残念ながら私には全く理解不能、推測することも想像することも不可能な「私」である。


以上久保栄治の現在のパーソナリティーは熟睡時の意識にさえ到達していない未熟な状態にも
かかわらず、敢えて身の程知らずに挑戦してみた次第である。