クリシュナムルティーのわたしは真理である

「わたしは真理である」(クリシュナムルティー)


有名な星の教団の解散宣言でのクリシュナムルティーの言葉「わたしは真理である」の

わたしとは真我のことであり、真理であり、愛であることを示している。

そのわたしとは普遍なる意識であることだろう。

その真の私が真理なのだ。

クリシュナムルティーの肉体や人格や自我

の私とは此処で彼が宣言しているわたしではない。

ここで彼が言っている

「わたしは真理である」というわたしとは

私達の内奥に実在のわたしであり、

全ての人に同一のわたし

純粋主体、純粋意識のわたしであり

それこそがわたしであろう。

そのわたしとは夜ベッドに眠りにつき、夢を見て、朝に目を醒ます私ではないことだろう。



そのわたしに関して、巷でよく言われている

肉体は私ではない

人格の私は私ではない、

自我の私は私ではない

統覚機能の私は私ではないと、

このように私を真の私と偽我や自我に分離し、私を複層的、階層的、哲学的、概念的、

心理学的に捉えているのが自我の私、人格の私である。

私というものを重層的、階層的、哲学的、概念的に高次の自己と低次の自己に分割して

分析し、思考し知覚しているのが分離している心であるところの無明であるのではないか。

もし「わたし」であればそこには全ての自己が真我であることを見ているだろう。

わたしであるならば、あらゆるところにわたしを見ているのであり、自他の中に同一のわ

たしを、そして内部と外部の区別なく、全てにわたしをみていることであろう。それは普遍の

意識であるからだろう。


見るものと見られるものに分離しておらず、自と他に分離していない目であるわたし

此処で云われている、クリシュナムルティーのそのわたしには

全てがわたしであり、わたし以外を見ることはないからであると思われる。

それがクリシュナムルティーの「わたしは真理である」のわたしであり、

彼はそのとき真の私の目として

全ての中に、わたしと全く同一のわたし自身を見ていたことであろう。

私達の内奥のわたしも、きっと彼と同じように

「わたしは道であり真理である」と宣言していることであろう

その私たちの内奥のわたしこそクリシュナムルティーが「私は真理である」と宣言した、

そのわたしである。

そのわたしは根源や聖なるものを決して対象化したり、分離して見てはいない。それ自身

であるからだ。

それであるところのわたしは分離していない普遍の意識であるからである。

その分離していないわたしこそあなたであり

それであるのだろう。

聖なるものや至高なるものを、わたしとは別のものとして、崇拝したり、権威にしたり、至ろうと

したりして

対象化したりすることは心の働きであり、マインドの動きであり、無明の働きであることだろう。

それは純粋主体ではない。その心はわたしではない。

わたしは普遍なる意識であり対象と分離していないと彼は云っているのだ。

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