気づきは必ず愛を伴う
無選択の愛を伴わなければ、それは気づきではあり得ない
ニサルガダッタ・マハラジはいう
人が意識している限り、そこには苦痛と快楽はあるだろう。
意識のレベルで快楽や苦痛と闘うことは出来ないのだ。
それらを超えて行くには、意識を超えなければならない。
意識をあなたのなかにではなく、あなたに対して起こる何か外部の、
異質なあなたの上に押し重ねられたようなものとして見るときだけ、
それを超えることが可能なのだ。
そのとき、あなたは突然意識から自由な、まったくひとりの何の干渉も入らない入らない状態にいる。
意識とはあなたに引っかからせようとする急激なかゆみなのだ。
勿論、意識から外へと出ることはできない。
外へ出ようとする考え自体が意識の中にあるからだ。
だが、もし意識とは殻の中のヒヨコを包む個人的で私的な熱のような者として見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期をもたらすであろう。