「在る」!ただ「在る」


「在る」!非難せず、批判せず、ただ「在る」


「在る」!同一化せず、ただ「在る」


「在る」!記憶無く、時間無く、思考無く、ただ「在る」


「在る」!ただ「在る」、在る


「在る」!観察者無く、ただ「在る」


と、私はそのように生きたい


「在る」ことは「〜なる」こと、ではない。

「〜なる」ことは単に起こることであり、それは「在る」ではない、それは起こることだ、時間だ

「〜なる」ことはなるようになるのであって、私たちは、それには関与しないし、それはただ来ては去っていく

それは根源によって起きている現象である

現象の根源が「在る」である、「在る」が現象を成立させている

私たちは行為者ではない、存在している、「在る」のだ


「在る」ことは「〜すること」「〜行為すること」「〜行うこと」ではない、

私たちは「〜すること」、「〜行うこと」はできない

それらは起こることであり、「〜される・〜されている」ことである、

私たちはそれには関与しないし、できない、また関与すべきでもない、それは起こる

それは「〜為される」、

この肉体や、この頭脳を通じて「〜される」「〜為される」

私たちは行為者ではない

と、そのように覚者は言われている




「在る」ことは「〜なる」ことや「〜すること」ではなく、知覚されること、認識されること、体験されることではない

知覚は知覚している者を含んでいる
認識は認識している認識者を含んでいる
体験は体験している体験者を含んでいる

知覚者、認識者、体験者、観察者は
知覚されるもの、認識されるもの、体験されるもの、観察されているものであるに過ぎない

それらはやってきては去っていくものである、去来しているものである

流れる雲であるに過ぎない

それは「在る」ではない

「在る」は既に在ることである、

それは知覚や認識や体験に左右されない

それは既にある

それは「在る」、

ただ「在る」

「在る」ことは内部と外部に分割しない、外界と内界、自分と対象に分割しない、ただ「在る」

「在る」ことは「何時も」であり、「今」であり、時々座って瞑想する瞑想ではない、

瞑想しているときも、瞑想していないとき、もただ「在る」

会話しているときも、
仕事をしているときも、
食事しているときも、
お風呂に入っているときも、
電話をしているときも、
ドライブしているときも、
寝ているときも、

いかなる時も「在る」、それは時々したり、しなかったりすることとは違う、

それは常時であり「今」である、それはただ「在る」

「在る」ことは、そこに在り、何時も在り、「在る」しかない

「在る」のみが「在る」

「在る」!

大変ではあってもそのように生きていきたい、覚者の教え導かれるように






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