いま、私は見るものは見られるものである状態か

現在、私の意識は「見るものは見られるものである」の状態にいるだろうか
私が対象と一つであるか、それとも別に感じているか

この「見るものは見られるものである」の意識状態が気づきであると確信してる
観照者の意識であると言われている

だから
神に出会ったり
天使と出会って話をしたり
内側に神が出てきてコンタクトしたり
内側で神とチャネリングしたり
光に包まれたり
天から仏陀が出てきたり
過去に行ったり、未来に行ったり
宇宙に行ったり
次元を自由に移動したり
キリストが話しかけたり等々

その状態は
「見るものは見られるものである」というところの
非分離性、全体性、一つに成っている状態の意識であるだろうか
主体が対象とひとつになっているのだろうか
それとも
私が対象をあるとおもっているのではないだろうか
私が主体を在ると感じ認識しているのではないだろうか
だから
これらは気づきの状態ではない


この現在の私が、見ている自分と対象を、それぞれに分離して認識している以上、それは気づきではない

それは頭脳を経由してマインドがつくりだした意識だ

気づきとは
「見るものは見られるものである」の状態であり
対象も主体も一つになっているのはないだろうか
内界も外界も一つになっているのではないだろうか

そのように覚者は説いているではないか

私の現在の状態は気づきではない
外界と内界に分離しており
主体が対象を認識している

この主体はマインドが作った概念だと思う

この私の意識状態は
全くの分離状態、二元性の状態
これこそマインドそのもの

全然、気づきではない
従って
この私は私ではない






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