言霊の力



「人生が変わるホ・オポノポノの教え」(PHP文庫・ヒューレン博士共著)という本から一文を紹介します。



『「思い・考えはあなたの無意識から沸き上がって来ています。

あなたはそれに対してコントロールすべがありません。



「唯一の選択肢(※限られた自由意志を用いて)は

その考えや想念が浮かんだら、直ちに、その想念や考えに対して「愛している」と唱えることです。

(※その反対にその思いと同一化したり、非難したり、改善しようとして、記憶の反応に巻き込まれ
  てしまうかのどちらかでありましょう)



「私達の出来うる選択肢(※限られた自由意志)とはひとえに、

その潜在意識から起こっているあらゆる想念や出来事を愛し、感謝して受け入れることです」



「具体的には、潜在意識から沸き起こるあらゆる思考・考え・思いを浄めるために

その起こっているすべての思いに対して「愛しています」と聖なる存在にお願いすることです。」



「愛しています」と言葉若しくは、心の中で唱えること(※言霊を実行すること)で

あなたはあなたの潜在意識の中にある

「透明で混じりけのない愛の状態」を妨げている思考・記憶(プログラム)を

浄める
ことが可能になるのです



「自分を浄めることとは目の前の他人も浄められることなのです」

「この共有しているプログラムを浄めれば人間と言う存在は自らを高揚することが出来ます」』と





ヒューレン博士は「記憶を愛すること」が即、大生命によって記憶(全人類で同一)を浄めてクリーンに

して頂くことだ・・と言っております。

ここで読者は誰が誰に対して「愛しているよ」と言っているのか?とかならず思考することでしょうが

その質問をしている私こそが思考であり記憶の条件反応だと教えられております。


自己を高次と低次に分割し、万物を私とは別だと知覚認識し、他者と自己を分割し、私は世界では無いと知覚し

理解の視界を曇らせ、時間と空間の認識形式そのものであるものとは記憶・思考であるということであります。

思考が万物と自己とは分離していると知覚し、内部と外部、善と悪、私と貴方、敵と味方、苦と楽、最初と最後

成功と失敗、豊かと貧しさ、天才と障害者、世界と私を分割しているのだと教えておられます。



思考が「自己には高次と低次があるのでこの私とはどの私なのか」と質問していますと。(思考の考える高次の私とは

思考であるのにもかかわらずに・・・)

自分は個人であり、心であると認識しているのは、たましいの意識ではなくてたましいの意識を覆い隠している思考なのでありましょう。

思考が自己を改善しようとし、世界を自分とは分離していると誤解して、世界に平和をもたらそうと努力しているのでありましょう。

思考(自分)は世界でひとつなのに自分を変革しても世界は自分ではないので世界は変革できないと思い込んでいるのでありましょう。

神しかいないのに、神と一体となるのだと努力しているのは思考であり、その思考とは即ちこの人格の個人・久保栄治であると

教えておられます。神が私(万物の私)を使って現象界で自己認識をしておられますと。



思考から起こっている質問こそが潜在意識から沸き起こっている記憶のプログラムであると言われております。


質問し、探求しているこの私は記憶であり記憶の反応であり愛を知りません。

しかし、この記憶の反応である私もあなたも共に神の演技、神の芸術作品であり、神の中にあり、神のものでありましょうか。

神以外には何ものも存在することが出来ないからです。と

この私は記憶という根源生命による現象界プログラムの結果であり、根源によって生じたのではありませんか?

それは丁度PCのゲームの中の登場人物と同じでありましょう。


この記憶である自己を記憶みずからが愛し、みずからに感謝することで「記憶みずから」から解放されるとホ・オポノポノは言っております。


光が光である為には闇が必要であり、光によって闇が生じたように、そして自己を理解することで闇が晴れるように

闇(記憶・無知)の根源にたどり着けたならそこは光・空なのでありましょう。

愛が顕れる為には私とあなたという二元性が必要であり、愛によって二元性が創られたのではありませんか。

現象界は神が自らを自己認識しているようにも思われたりするのです。


ですので、「たましいの私とは空である!!絶対的静寂、完全なる平和である」「I  AM  I」であるとヒューレン博士は言います。

しかしその実相は、この記憶である私・久保栄治には理解することはなく知るよしもありません。この私は人類共通の記憶だからです。

見返りや、利益や、損得勘定を差し挟むことなくただただ万物に対して「愛しているよ」と唱えることが、根源に帰還する為には

非常に大切だと思われるのです。