心と思考の違い



日常生活では私たちは思考と心を全く同一視してしまっているが

それは全く異なっており、思考とは潜在意識にある記憶(DNAなど)

からの反応であるのに対して、心とはその肉体に入り脳と結合して

いる「たましいと繋がる私たち表面意識」から起こっている「働き」、

マインドであるということである。




ただし、より高次の立場からの語彙の用い方として、賢者たちは

思考と心を同じ言葉でひとくくりにして「心なく見なさい」「心なしに

在りなさい」などと教える場合が多い。


表面意識からの心と記憶からの思考を明確に分ける語彙がない

のであるから同じ言葉で全く異なる意味が付与されてしまってい

るのが現状である。。


しかし

表面意識からの心と記憶からの思考は全く異なっているのだと。



たましいを構成している超意識と表面意識と潜在意識のうち、

表面意識からのマインド・心と、私たちの潜在意識にある記憶

からの「思考や感情」の違いを自分なりに考察してみたい。その

心の働きと、心と混濁している記憶からの思考の識別が難しい。



それらは混在し複合しているので識別するのが難しいのである。



この心と思考は識別が難しく似ているのだがしかし異なっている。



表面意識はこの心を使用して、記憶に対し、思考に対して「愛し

ている」「ありがとうございます」と唱えることが出来るのだと。



記憶は自ら自身を外部や内部に投影投射し、知覚している。運命や

起こっていることや目の前の他者や自分自身、環境や肉体の状態

、障害や才能や病気や健康、思考や想念や感情として身近な出来

事として知覚され知覚しているのは記憶である。

そして記憶は、その知覚した内部と外部に対して、今度は記憶自

身から想念や思考として、判断や質問として反応しているので、私

達は決して本当のあるがままを認識し超感覚で知ることができない。

・・記憶が清まらない限りは・・。魂からの表面意識は記憶が思うように

思いエレメンタルを生み出し、記憶が行うように行いカルマを作りだし

記憶が苦しむように苦しんでしまっている。



私達の表面意識には五つの進化段階があるという。

   ①本能的意識状態
       ⇓
   ②潜在意識的意識状態(現在の人類の意識状態)
       ⇓
   ③意識的意識状態
       ⇓
   ④超感覚的意識状態
       ⇓
   ⑤超意識的意識状態
    (表面意識が魂の意識とつながりを回復している意識状態)
       ⇓


しかし残念ながら今のところ、私は未発達のために記憶の反応と

表面意識からの心の違いを識別できずに混同してしまっており、

未だにその違いを認識することができていないのである。

心を未だに使用できないでいる。



記憶からの反応と、それとは異なる魂に繋がる諸体の意識からの

心の働きを識別し、本来の私自身を発見するためにも心を使用す

る必要があり、記憶とそして意識からの心(マインド)の働きの違い

を自分なりに思索してみたい。




たましいと繋がっている表面意識は心やマインドではないけれども

心やマインドを使用することが出来るので、条件付けられている脳を

媒介にした「プログラム・DNAにしたがって自動的に起こっている」欲

望や期待や思考や判断や分析や思考に依る観察に惑わされること

なく心を使用し、その心を使って万物を愛し、万物に感謝したいと思う。




通常の「五感覚」「知覚」「観察」「分析」「評価」「判断」「行為」などは、

条件付けられている脳及び記憶・思考の反応であり、それは表面意

識からの心ではない。



記憶が浄化されない限りはプログラム・DNAにしたがって出来事は

起こっており、その内部で(すなわち内部から投影されている外部で)

自動的に起こってしまっている衝動・出来事に私たちは流され、翻弄

されてしまい意識からの心を使用することが出来ていない。

  

      ※記憶から自動的に起こっているのは
   
      ・知覚(五感などの知覚と知覚者)
      ・判断(敵味方・善悪・損得などの判断している私)
      ・分析(自己及び他己の分析)
      ・評価、判断
      ・才能、能力、障害
      ・好悪、善悪
      ・成功、失敗
      ・観察(思考による自己の観察を含む)
      ・行為(記憶に基づく通常の行為)
      ・経験、体験(経験者、経験者)
      ・自己関心・自己中心(自我)
      ・欲求・欲望・衝動・期待すること
      ・目的を持つことや計画を立てることや理想
      ・質問や疑問及びそれに対する納得




上記のそれら記憶からの思考や行為に対して

魂と繋がる表面意識という意識から起こっているのは

思考とは異なっているマインド・心であり、私たちは心を使用できるの

だと。


心とは洞察・留意・傾聴・注意・気づき等と称されているたましいからの

心の働きのことであり、

その留意や傾聴とは自己や他己を冷静に分析し観察しているところ

の自我、私自身、観察者のことではない。分析や判断・・それらは記憶

から生じている事柄であり、留意・傾聴とは愛と感謝のなかで記憶・自

己を抱きしめていることである。


その自我、表面意識を覆う私自身、観察者という記憶のことを

愛と感謝でもって、暖かく抱きしめ、批判や判断なく観照しているのが

たましいと繋がる意識の働きであり、それは「マインド・心」と呼ばれて

いるのだと。

   ※意識からの「思考ではない心・マインド」の働きとは 

      ・イドノプラシー(形象化想像力)
      ・観照(観察者を許し、愛し受け容れ経験している能力)
      ・純粋な懺悔・許し・愛・感謝の心
      ・熟考能力・洞察
      ・純粋理性を極めての信念・確信・想像力
      ・思考を含まない凝視(呼吸がほぼ停止している状態での)
      ・傾聴(判断や評価や期待を伴わない心の働き)



などであり、これらは、記憶の反応とは異なる「意識からの心」を使用で

きる段階にある時、その時、潜在意識にある記憶が浄化されることが

おこり始めており、

上記にある表面意識からの心は潜在意識的意識状態から徐々に

記憶に振り回されることなくマインド・心を使用できる意識的意識

状態へ移行しつつあると言われている。



この意識的意識状態の先に五感を超えている超感覚的意識状態

があり、さらに

その先に思考を伴わない万物との意思の疎通である「同調」「一体」

「アチューメント」「全体性」と呼ばれる「超意識的意識」の段階が

在ると言われている。