これはイスラムの大聖人
イブン・アラビーの結論と同じだ
イブン・アラビーは言う
「あなたは神以外のものを見ることが出来ない」
「神以外は何も存在していない」
「見る者は神であり、見られるものも神である」
・・これは観察者の観察によって量子の姿が変わることから証明されている。
・・・量子が意識であり、量子が量子を見ているのだ。
従って
「見る者(意識)は見られるもの(量子)」なのだと、
だからイブンアラビーは
「見る者は神であり、見られるものも神である」と言ったのだ。
「自己を知るものは主を知るものである」
・・「あなたが自己を知るとき、あなたの自我は消え
自分は神以外のものではないことを知る」
「見る者は見られるものである」
「知るものは知られる者」「創造主とは被創造物」「知覚者と知覚される対象
は同じ」であり
それらは一つであり、神以外のものはないとイブンアラビーは言う。
「神に融合する者は神をおいて他にはない
何故ならば、神から分離しているものなど何もなく
神から分離するものも神をおいて他にないからだ」
「見る者は神であり、見られるものも神である」
と言うのだ。
「あなたは、自分が自分であると考えたが、
しかし、あなたはあなたではなく、そうであったことは一度もない。
もしあなたが、あなたであるのなら、あなたは主であり、
二人のうちの二番目となる。
そう考えるのをやめるように。
神の存在とあなたの存在の間に
何ら違いは無い。
神はあなたと違わないし
あなたは神と違いはない。
無知によって自分は神ではないというなら、
あなた頑固者だが、
しかし無知が消えれば、
あなたは従順な人だ。
あなたの融合とは分離であり、
あなたの分離とは融合。
あなたの距離は近接であり、
それにより、あなたは適者となる。
知性を捨て、啓示の光によって理解する。
そうすると、あなたが守っているものは
あなたから逃げ出さない。
他を神と結びつけることで
あなた自身を堕落させてはならない。
他を神と結びつけることは
堕落だ。」
「疑念も不確実さもなく
私は主を通じて主を知った。
私の本質は欠如や不完全さがなく
まさに神の本質。
それらの間に他者性はなく
私の自己は見えないものが現れる場。
私は混じり気や傷のない
自分自身を知ったので
距離や近さもない
最愛のものとの融合に達した。
与えることも、混ぜることもなく
私はあふれるほどの贈り物を受けとった。
私の自己は神の中で消えることはなく
消えた者が残ることもない」
「自己を知るものは
神以外の何も見ないが
自己を知らない者は神を見ない」
「自己を知るものは神を知るものである」
・・以上は
イスラムの最高叡智のことばであり
他の宗教が示しているのと同じく究極の真理です。
真理には、地域や年代や国などの違いは、全くありません。
それは量子が地域や時代や惑星や宇宙によって異ならないからです。
すべての深い宗教は表現や言語は違っていても同じ真理を示しています。
ここで地球のみならず宇宙の方々をも含む大きな問題が有ります。
それは私達が神の国を地上に齎らせねばならないということに関してです
それは即ち
私達が人々を救済済度するということです。
しかしながらこれは全く以て僭越な考えなのです。
これは現象界の私達が行うことではなくて
現象界を司っておられる至高の力が行うことであると言うことです。
「人類の救済」「地上に実相世界を築く」「悟りを全ての人に齎す」等々
これは要するに、真理の普及とか地上天国実現の活動とか人々の救済
といった政治的、宗教的活動のことでありますが、これはユダがキリストに
ローマ帝国の支配からの活動を薦めたのに対し、キリストは「神の国は
あなたの只中にあり、人間は自分を救済することが、世界を救済することだ」
と、明確に答えています。
救うべき相手や世界とは私の中にあるというのです。
そもそも、エゴが相手を変えようとすることが間違いなのです。
エゴである私達が見ていて救済しようと思っている世界こそエゴの姿なのです。
相手を変えようとする自他の分離が迷妄なのではないでしょうか。
人々を迷いから解放し、彼岸に導こうとすることは、私とあなたの分離という虚偽
から始まりますが、クリシュナムルティーやヒューレン博士やラーマクリシュナ
やラマナ・マハリシなど多くの覚者達が口を揃えて言うように
人類や世界の救済、それは自分が救済されたときに、自分の中にある(即ち対象世界)
全ての人類は救済されているのであると言うことであります。
それなのに神に選ばれたと思い込んだ自我は世界を変えようとするのです
がしかし、その救済の仕事は天使の仕事であって、私達の仕事ではありません。
世界を救済するのは人間の仕事ではなくて、人間を使って演じておられる神の仕事
なのであり、具体的には至高の天使の仕事です。
それをエゴである自分が為そうとすることは全くの傲慢、迷妄である
・・ということではないでしょうか。
ラマナ・マハリシが言うように「救うべき対象であるあなたや相手という
他者は存在していません。真実は主体は即ち客体であり、あなたが私であり、
私が世界なのですから、私が神であるとき、世界は神の姿を顕すのです」と。
しかしながら
私達はその現実を見る目がないので、相手を変えようとするのです。
黒住宗忠師は「天の心」(高次霊的諸体)を育てなさい!!あなたが変えよう、
としている敵とはあなた自身ですと教えました。
「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」であり、変えようとして
いる相手とは私なのですから、私が天照大神の御分霊であることを思
い出すのです・・と言っています。
要は政治活動やそのほかの活動で人類を救済し、惑星を救済しようとする救済活動や
行為は・・・・それは神(天使・菩薩)の仕事であって人間の仕事ではないということ
でありましょう。
それは丁度カルマを齎すことやカルマから解放させることは私達、人間の仕事ではない
ように、カルマを超越する唯一の方法は、それはこのイブンアラビーが示す「全ては神であり、
神の中に全てはあり、神以外には何も存在していない」ことを発見することであります。
その時、ラマナ・マハリシが言うように「創造はなかったと知りなさい」の
意味が知られるのかも知れません。
多くの教えや、現象が多くあり、また宇宙からの来訪者やそのメッセージが
来ていますが、一番大切なことは、実相が齎されること、秩序が顕現することです。
そしてその結果として至高の力が現象世界を次元上昇させていくことでありましょう。
その為にも私達はイブンアラビーが示している真実の現実に直参、参入することです。
多くの教えや、神々からの教えに従って、相手を変え、世界を救おうとすることは
結局はカルマの中を歩む事であり、それは自己からの解放を齎さず、従って世界の
変革に繋がらないのです。