美空ひばり「愛燦燦」


昨日、テレビ番組で美空ひばりさんの愛燦燦を聴いていて、いつもながら、

美空ひばりの歌は素晴らしいな~彼女は本当に天才だな~と深く感じてい

たのだが


それより驚いたのはその歌詞の中身だった!!


私の年代ではひばりさんの歌はなじんでいて誰でもよく知っていて、歌のこ

とはよく知っているつもりだったのだが、今までは良く歌詞を聴いていなかっ

たのであろうか、昨日は改めてその「愛燦燦」の歌詞の中身の深さに驚い

てしまったという次第である


雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて

わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして

人は哀しい 哀しいものですね

それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)

人生って 不思議なものですね

風 散散(さんざん)と この身に荒れて

思いどおりにならない夢を 失(なく)したりして

人はかよわい かよわいものですね

それでも未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)

人生って 嬉しいものですね

愛 燦燦(さんさん)と この身に降って

心秘そかな嬉し涙を 流したりして

人はかわいい かわいいものですね

ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う

人生って 不思議なものですね

ああ 未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)

人生って 嬉しいものですね




作詞作曲は小椋佳だが、この人の経歴を見てやはりそうだったのかと納得

してしまった。

彼は東大の法学部を卒業して20年近くも銀行員を務め、支店長まで上り詰

め、それと平行して作曲や歌手の活動もしており、その後再び東大に再入

学して思想哲学を深く学び、東大の大学院の修士に迄なっていた万能の

才人であり哲学や思想に通暁している慧眼の人であったのである。



そういうわけで改めてこの歌詞の中身を感じてこの美空ひばりの歌う内容が

実はもの凄く中身が深いものであることに私は全く驚いてしまった。


何で今までどうして気が付かなかったのか不思議だったのだが、その内容

はまさに再発見だった、この歌詞は小椋佳の到達している心境であり人生

観を顕しているのだとおもう。



この小椋佳の歌詞を深読みして、判明してきたのだが・・・


この「愛燦燦」とは

一言で言えば生かされていることへの「感謝」であり、生かして戴いている

ことへのありがとうございますであろうか。





この完璧な神の宮である肉体として生きておられ、

肉体に入った私(実は神の演技)を生かして下さっている

「名付けられない大生命いのち」に合掌し感謝せざるをえないのではないか。




この肉体に入った私とは・・・

その私とは「肉体は私のものだと思い込み」、「私が生きていると思ってい

る私」の事であるが・・


「”肉体は自分のもので自分が自分で生きていると思っているその私”とし

て生きておられるその名付けられない大生命いのち」にたいして、

その「自分の肉体であり、自分が自分で生きていると思い込んでいるこの

自己自我である私」は合掌し感謝せざるを得ないのではないか。




その肉体に入って自分のことを自分が生きていると思っている私、即ち大

生命によって「生きられている私」「演技されている自己自我」さえもこの大

生命自身であるので


この「自分が生きていると思い込んでいる自己自我」に対しても、即ち自己

自身に対してさえも合掌し感謝した次第なのである。


神が演技しているこの自己自我自分自身に対してありがとうございますと

崇敬し感謝の念を捧げたのである。