私達の意識の構成とその割合はどうなっているのだろうか?
殆どの方はこんなことは考えたこともないし、話題にしたこと
もない事であろう。
しかし自分の意識の事を探求すればするほど、この疑問に突き
当たることだろう。
常識では意識と記憶とを混同しているので、記憶を私、または
記憶の反応が私であり、記憶が私の意識だと思われてしまっている。

しかしその意識と思われている記憶とその記憶の反応を含めて
それらは意識に現れては消え去るものであり意識ではない。と
賢者達はいわれているのである。

また熟睡や夢見を見ても分かるように意識と思われているものも
成長の過程にあるといえる。何故ならば肉体の脳が眠っていても
それにも拘わらず意識は覚醒している・・という成長した意識が
現実にあるからである。確かに意識は脳を媒介していても意識そ
のものは肉体の脳に附帯している現象ではないということである。
死後にも私達の意識は継続していることから明らかなように肉体
の脳が意識なのではない。

ではこの意識と自分とはどういう関係にあるのだろうか?
というよりは意識が自分なのではないだろうか?
私とは意識なのである。
意識に階層があると言うことは、私・意識も同じく階層があると言う
ことである。
意識にも私ではない意識もあり、いろんな階層の私の意識があると
いう事である。

私達の意識とは
五分の一が私達の成長過程にある諸体の意識であり
五分の四は意識ではなくて条件付けられている脳からの記憶の反
応だという。

賢人やまた聖者達の悟った方々のその高次の知覚認識の言葉には
私達は只々驚くばかりであり、私達が同じレベルにいない限りは
その言葉を理解することは出来ないことだろう。

ここで関心があるのは、レベルが低く、未発達な私達(成長
過程にある私達)の実際の意識の構成割合に関してである。

それでは私達の平均的な意識とはどのような意識階層の割合で成り立っ
ているのだろうか。

最初に確認すべきは私達とは肉体に入り脳と結合した存在であって
脳ではないということ。確かに私達は脳と合体しているので脳に
多大の影響は受けているが私=脳なのではないと言うこと。
脳が老化してアルツハイマーになったり老化しても、脳ではない
未熟で自我にまみれた形成途中のサイコノエティック体の意識
があるのである。

私達は確かに肉体の脳と一体化していても肉体の脳ではないということ。

私達の意識とは未形成の思考体・感情体サイコノエティック体である
と教えられている。ただしその思考体感情体は殆ど機能していないの
であると。

さらに本当の私とは神の子の私。天照大御神の御分心であり、それは
永遠のパーソナリティー、鏡、観照者などと言われている私。現在の意識
にとっては未知なる私、未知なる意識の事である。

従って私とは脳が受信した想念の記憶ではないと言うこと。
私達とはその脳の受信している想念と同一化してしまっている
が魂と繋がる私(サイコノエティック体・四魂)であると言うこと。

私とはサイコノエティック体(思考体、感情体、四魂のこと)意識
であるので、その未発達の意識に関しては成長していく事が最も肝要
となる事だろう。




ここで現在の未発達な私達の平均的な意識の構成割合を考えてみたい。

それは一般的な私達、即ち私も含めての人類の意識の割合のことであるが

80%・・・脳が受信しているプログラムされて起こっている思考と行為。

     カルマとそしてDNAによって決定され起こっている生まれ
     ながらの人種、境遇、運命そして次から次に起こる出来事。

     そしてそれらに対して反応している脳からの思考の記憶の反応。
     記憶からの条件反応としての知覚と認識。

     この記憶の条件反応のことを社会では人格または個人と
     言っている。通常で言う人格や個人とはこの記憶の反応な
     のであろう。

     私達はこの条件付けられている脳が受信した記憶のことを
     私だとそのように誤って信じ込んでしまった。
     私達のほぼ全ての思考と感情と行為は記憶によってコント
     ロールされている。思う事、行うことは全て記憶が為して
     いるのだ。

19%・・・それらの記憶からの起こっている「見る」「聞く」
     「話す」「考える」「行為する」に対する私達のサイ
      コノエティック体の態度としての思考と行為。

      ここで言う私達とは肉体脳の事ではなくて、「自分は
      肉体であり、記憶の反応を自分だ」と信じて疑わない
      未発達の魂と繋がるサイコノエティック体の事。

      肉体に入り条件付けられている脳と結合した現在の
      パーソナリティーである思考体・感情体のこと。

      このカルマによって起こっている事に対しての反応し
      ている記憶に対しての態度のこと。

      ・・・ここは非常にややこしいです。
      ①カルマによって必然的に起こっている出来事
      ②それに反応する記憶
      ③に対しての魂と繋がる私からの行いと思いのこと。
      
      但しこの③のサイコノエティック体は殆ど未だ
      未発達で未形成なので正しい高次の思考が機能し
      ておらず、私達のサイコノエティック体は脳の記憶
      と一体化してしまっている。

1%・・・・魂と繋がる私・観照者、永遠のパーソナリティー
      等と言われている私の事、殆ど意識されない私の事。
      脳の反応という記憶に対しての態度、思考を観照し
      ている私のこと。
      私である現在のパーソナリティー・サイコノエティ
      ック体を見ている私の事。鏡の私の事。
      (但しこの永遠のパーソナリティーは私達の思考体・
      感情体が未形成なのでこの鏡と言われている意識は
      現段階においては殆どが意識されていない)。
      
       しかしさらに高次の意識があるといわれており、

       ミルダッドは次のように言っている。
  
       「万物への意識を成長させて初めてあなたは自らの
       内にある万物の意志や万物の内にあるあなたの意志を
       意識出来るようになる」
       「あなたの意志とあなたの内にある万物の意志を
       意識するようになって、初めてあなたは〈全能の
       意志〉の神秘を知ることが出来る」