棘を抜くには棘が必要





思考を抜くには思考が必要


ラーマクリシュナは次のように言っている

 ”足に棘がささったら、もう一つの棘を持ってくることです。

 それから足の棘を抜いて、二つの棘を捨ててしまうのです。

 そのように

 無知の棘を抜くには、明知の棘を用意しなければなりません。

 無知がなくなったら、明知と無知の二つとも捨ててしまうのです。

 そのとき大明知が現れます。”




思考の停止には正しい思考を用いなければならないと言うこと。


記憶を超えるには、正しい記憶を用いなければならないということ。


記憶という棘、思考という棘、自他の分離という棘、自分を知らないという

棘、時間と空間という棘、自分と世界が分離していると錯覚している棘、

内部と外部が異なっているという棘を抜くには、同じように棘を使用しな

ければならないということ。





正しく見ていないという棘を取り除くためには、意志を用いて正しく見るようにして

正しいこと(愛・真理)を行い、正しいこと(真理)を思い、正しいこと(真理)を

唱え、正しいこと(真理)を思考しなければならないということ。




自分の中から記憶という思考を取り除くためには、同じように正しく思考

を用いて

愛しようとの努力の中、正念し、正しく唱え、正しく感じ、正しく見るように、

思考でもって、思考を使って努力しなければならないということ。





それゆえに

日々、毎時、毎瞬、「ありがとうございます。愛しています、御免なさい

許してください」と唱え、自分の自由意志だと錯覚している自由意志を用い、

「自分は私だと錯覚している私・自我」を用いて真実なる私を思念し、

愛と信じていることを実践することが、思考という記憶からの解放に

有効であるということである。


正しい唱名念仏、キリストの主への祈り、信仰、帰依、全託、瞑想

という思考からの行が思考からの解放に必要だと言うことである。


正しい知覚への道は、正しく知覚を使用しなければならない。

思考の停止には正しく思考を用いなければならないということである。



そしてその道はたくさんあることだろう。どの道をも否定しない。



ではその正しく思う、正しく見ることを実践すべきその正しく思う・見るとは?

ラーマクリシュナは以下の様に言っている


「人間のなかに神を見るようになったら、完全なる知識を得る」のです。

 あのお方(神)自身が、それぞれの姿で動き回っているのを見ます。

 それはあなた自身。

 人間の姿で、私たちのところにおられるのは、あなた(神)ご自身である。

 人間だと思われているのが、実はあなたご自身である。

 本当は、あなたというものは、あの至高のブラフマンである”



これを日々念じ、思い、行ずることが記憶からの解放に繋がっているのだと。