眠る私
今日は睡眠について一般的な常識とは異なる角度から考察してみました
眠っているのは誰だろうか?睡眠から目が覚めて”今日はぐっすりとよく眠
れたよ”と言っているのは誰だろうか?
それは個別的霊魂から投影されている(又は個別的霊魂を覆っている)
ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャ・自我体若しくは現在のパーソナリティーと
いう現在意識の事なのではないだろうか・・それがこの「私を他者と分離した
意識体」と知覚する私のことではないか
その私とは夢を見ている主体であり、熟睡・日中の主体であり、日中の起こっ
ている行為や思考や出来事と一体化している私のことであり、自分が行為
していると思い込んでいる行為者であり、自分が生きていると思いこみ「他人
と分離していると思っている主体」である私のことであり、各体の脳と深く結
合しているために脳である感覚や知覚や認識と完全に同一化しているこの
現在の私の事、即ちこの「意識である私」自身であるように思える
それでは霊的解剖学から考察した睡眠とはどのような現象なのだろうか?
それは私が推測するに、この現在意識である現在のパーソナリティー(自我
体)が内部と外部を超えている超意識である自身の内奥(個別的霊魂・上
位次元)に戻っている状態なのではないのかと推測しています
しかし、自身の本体に一旦戻った現在のパーソナリティーという自我体のレ
ベルが肉体の脳を含め、未形成で非常に低いレベルにあり、覚醒していない
ので、熟睡を全くのブラックアウトとして捉えてしまっているのではないかと
思われます
自我体であるヴィジュニヤーナマヤ・コーシャのレベルが高ければ、熟睡を
観照している意識と繋がると思われます、そしておそらくその状態に生まれ
変わった(再形成された)ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャ(現在のパーソナ
リティー)は夢見時にも日中時にも目覚めている(思考なく観照している)こ
とでしょう
しかし私達の現段階に於いて
日常の昼間の覚醒意識では、この自我体であるヴィジュニヤーナマヤ・コ
ーシャは脳(肉体の脳+幽体脳+霊体脳)と結びついているため、起こって
いる行為や思考や感情を全く自分が行為し、思考し、感じていると思い込ん
でしまっています・・・それがこの現在の私のことなのではないでしょうか
この自我体のことを未形成のサイコノエティック体、未形成のアストラル体
未形成のメンタル体と言うこともありますけれど、いずれにしてもこの自我体
とは私という観念であり、個別的霊魂から投影されているので、とりあえず
この自我のことをヴィジュニヤーナマヤ・コーシャという外側から4番目の鞘だ
と解釈しております(5番目の鞘はコーザル体、アーナンダマヤコーシャ、原
因体と呼ばれそれらの鞘が個別的霊魂を覆っていると言われています)
この現在のパーソナリティー(自我体)とは未形成であり、これをヴィジュニ
ヤーナマヤ・コーシャだとしても、いずれにしても私という観念を中核として
いる意識体若しくは現在のパーソナリティーのことであり
継続している「思考の記憶」「記憶の条件反応」であることは間違いないと
思われます
この睡眠という現象とは、生まれたときに肉体と幽体と霊体が準備された胎
児の肉体とその脳に誕生時に、呼吸と共に個別的霊魂+ヴィジュニヤーナ
マヤ・コーシャがそれらと固く結ばれたように
肉体の死亡時にはシルバーコードが切断(又は消滅)されることによって
個別的霊魂+コーザル体+ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャ+サイコノエテ
ィック体(幽体霊体)が肉体から離れるのと似ております
肉体の観点からすれば、睡眠時に於いては肉体に霊魂の一部が残っており、
霊魂の本体である意識に自我体が戻っていても、睡眠時の肉体に戻れるの
は自我体がシルバコードで肉体に残っている霊魂と繋がっているからである
と思われます
死亡時にはその睡眠時には一部残っている霊魂共々、シルバーコードの
消滅と共にサイコノエティック体とヴィジュニヤーナマヤ・コーシャという自我
は、コーザル体や個別的霊魂と共に肉体から離れるということでなのでしょ
うか
いずれにしても私という「他人と分離していると実感している主体」とは現在の
パーソナリティーのことであり、現在意識であり、ヴィジュニヤーナマヤ・コー
シャのことなのだと推測されます