呼吸しておられるのはあなた・・いのち
「私としてあなたとして、人間として魚として動物として、全ての生命で呼吸して生きておられるのは・・いのち。
心臓を動かして、すみからすみまで血液を巡らしておられるのは、あなた・・いのち。
受精卵から成長させ、歳をとって弱くなって病気になって、肉体を灰にならせられるのは、あなた・・いのち。
病気になって苦しんでいるのは、私ではなくてあなたであり、いのちです。・・・肉体も知覚もあなたのものだからです。
病気になっているのはあなたです、何故ならば、肉体として生きておられるのは私ではなくてあなたであるからです。
この肉体はあなたのもの、この五感、この統覚はあなたのもの、この記憶はあなたのもの、この恐怖はあなたの
もの、この増上慢はあなたのもの、この競争心、この嫉妬心、この自己関心、この冷淡、この自己・自我はあなたのもの。
・・・と申しますのも、自由意志を与えらて、肉体に入り、脳と結合した鏡という表面意識の私が、起こっている思考
や行為に反応して生み出したもの・・それらがこのメモリー・記憶・インナーチャイルド・自我なのではありませんか?
生まれ、そして死んでいくのは私ではなくてあなたの肉体です。あなたがあらゆる肉体を生かしそして死なせておられる。
私は鏡である表面意識なので、この肉体に入り、脳と結合して、肉体からの知覚や、欲望や、衝動や思考や
そしてこの特定の肉体のプログラム・ブループリント・運命・カルマにしたがって一緒に生きているばかりではなくて
その記憶に覆われ尽くしております。従って私(鏡である私)はやってくる思考と思考の記憶を自分だと錯覚しています。
そして錯覚することで多くのエレメンタルや化け物を作りだしてしまいました。・・その責任はこの表面意識である鏡の私
にあります。
この思考はあなたのもの、この無知はあなたのもの、この思考である私はあなたのもの。あなたが生きておられる。
・・・表面意識である私によって自分だと錯覚されているこの私とは、記憶であり、鏡であり表面意識である私が作り出した
記憶の私・・即ち私の苦しむインナーチャイルド・・その記憶の私がここに私として悩み苦しんで生きている。
この「記憶の反応である私」が生きているのではない。私は実在ではなく、存在していない。あなただけがいる。
怒り、殺し、殺され、悩み、恐れ、愛し、出会い、別れ、生まれ、死ぬのは誰なのであろうか?
それは「記憶の私」であり、その「記憶の私」は鏡の表面意識の私が自由意志を持つが故に生み出したエレメンタル。
鏡である表面意識の私が、脳と結合することによって、生み出したその記憶の私が私として生きて、考え、感じ、欲し、
そして行為し、死んで肉体を離れ、再び新たなる肉体を得ている。
~というのは、あなたが、いのちが、鏡である表面意識の私に自由意志を与えられ、そして鏡の私は肉体と結合する
ことで、この記憶の私を生み出し、その記憶の私と一緒に生まれ変わり、新たなる肉体を得て生きて、その記憶の私
は考えて、行為し、老いて、病気になって、苦しみ、肉体を離れても私は死んではいない生きていると思い込んでしまっ
ている。
しかしながら肉体と諸体と思考と行為はいのちであるあなたのもので、あなたの演技なのではないか?
あるときは才能有る個人として、あるときは病気で苦しみ、障害者として生きておられるのはあなた・・いのち。
あるときは同じ民族で同じ宗教の友として生き、あるときは敵国の民族として仇として闘いながら生きておられる
のはあなた・・いのち。
あるときは運命とカルマに従って成功者として恵まれ、あるときは悲嘆と、どん底の絶望の生まれてこなかっ
た方が良かったような不運で最悪の苦しみの人生を生きておられるのはあなた・・いのち。
あるときは悪人として生き、善人として生き、私として生き、あなたとして生きておられるのは、このいのち
の演技。
今これを書いている私とは思考の記憶であり、本来の鏡である表面意識の私なのではない。
というよりも思考の記憶に汚染され混濁状態にある鏡である表面意識なのである
この私は記憶の私であり、記憶である私は幻想であり、無であり、存在していない。・・といえよう
しかしながら記憶の私によって汚染され混濁状態にあるとは云え本来の鏡でもあるので在る。
人間は複合しており、どこからどこまでが本来の鏡で、ここからが思考の記憶であるときっぱりと
線を引くことが出来ないのである。
鏡である表面意識に現れて、鏡が同一化してしまっている、潜在意識にある記憶(インナーチャイルド)
その混濁状態・・・それがこの文章を書いている記憶の私、即ち表面意識の私を覆っている潜在意識の
メモリーであると同時に本来の鏡の私でもある。
細胞を生かし、そして規則正しく、宇宙の最大の叡智と同様に最小の細胞を生かし生きておられるのは
あなたであるいのち。
私という記憶が生きているのではなくて、あなたがこの私という思考の記憶をも生かしておられ、ここに
こうして生かしておられる。
それはまた、人間だけではなくて、あらゆる物質を、生命あるものも、ないものも万物を生かし、生きておられ
るあなた・いのち。
脳を機能させ、五感を生じさせ、知覚を生じさせ、意識を生じさせ、記憶を通じて、その肉体を自分だと思い込む
私という錯覚を生じさせ、その個性ある個人としての肉体を生かし、死なせ、行為して生きておられるあなた・・いのち。
そしてさらに鏡としてこの肉体に入り、この肉体の中脳や大脳とそして脳が受信している思考と同一化してしまっている
この表面意識の私を生かして下さっているあなたへ
このいのちと大叡智に五体投地し、礼拝し、感謝いたします。
生きておられるのは私ではなくて、いのちであり、万物を生かしておられる万物であるあなた・・いのちです。
これを書いている思考の私とは記憶に過ぎず、無であり、存在していない幻想です。あなただけが存在しておら
れます。
・・私やあなたとして生きて生かしておられる、いのちであるあなたに感謝し、合掌し、礼拝いたします!!!」
・・・・と思う私は鏡と思考が混濁している状態なのであると思うのだが・・・。
※かなり複雑なので、ホ・オポノポノの解説図http://kuboakoru.web.fc2.com/20200418.jpgと一緒に
お読み下さい。